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2006年 01月 07日
借景
a0006954_10284041.jpg 「Echelle du ange 」(参照)は大分市田ノ浦ビーチにあるレストラン、カフェ、パーティー・セレモニーホールなどの複合施設で、どの施設からも別府湾が望める作りになっている。水族館「うみたまご」(ブログ内記事参照)にもほど近い。帰省最終日、家族揃って海を眺めながらの昼食をここで楽しんだ。
 写真は参考にと見学させてもらったセレモニーホールである。司祭者の背後のガラス越し、白い大理石のきざはしの向こう、輝く大空と海原とを大胆に借景するのだが、降り注ぐ光はその場を厳粛に見守る大きな存在を暗示するかのようだった。
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# by kpage | 2006-01-07 11:55 | ■身近の話題 | Comments(0)
2006年 01月 01日
謹賀新年
今年もよろしくお願いします。
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# by kpage | 2006-01-01 00:40 | ■お知らせ | Comments(0)
2005年 12月 29日
PENTAX SP
a0006954_12673.jpg ASAHI PENTAX SP ― 35年も前に購入したものだが、ちょうどその頃、「ある兵士の賭け」という映画があって、その中で石原裕次郎演ずる報道カメラマン氏が持っていたのがこのカメラで、彼はある外国人(役柄は忘れたが)から「ミスターペンタックス」と呼ばれることになる。更にこの映画のロケが地元大分で行われたとか、いろいろと思い出のあるカメラだ。
 先日恒例の大掃除をしていたら、専用の水銀電池が出て来た。この電池はかなり以前から、買いに行けば直ぐ手に入るという訳にはいかなくなっていて、確か予備にと余分に買い置いていたような記憶がある。しかし既に10数年以上は経っているような気がしたし、いくらなんでも駄目だろうと思いつつも入れてみると、なんとしっかり作動する。フィルム用のカメラは他にも2台あるが、今はデジタルの手軽さに押されて使うことはない。でも、たまにはフィルムもいいかなと思うし、それにこれくらい古くなって来ればそれなりにカッコいいかもと、今は机の脇に置いてその出番を伺ってる。
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# by kpage | 2005-12-29 01:13 | ■身近の話題 | Comments(1)
2005年 12月 22日
雪の日
 私がまだ小学校に上がるか上がらないかの頃だったと思う。クリスマスも近いある日の午後のことである。父が突然白い絵具と筆を持ってやって来た。九州大分でクリスマスの頃に雪が降ることなどほとんどないのだが、ならばと父は茶目っ気も半分、ささやかな演出をと思ったのだろう。食事や団欒にと我が家で最も家族が集う一間の白壁の少し高いところに、45cm四方くらいの小さな明り取りのガラス窓があったのだが、父はその窓ガラスに隣家の屋根越しに外側から筆で白い丸をいくつも描いた。その時私には、それが単に青い空に灰色の丸がいくつも並んでいるとしか見えなかったのだが、父は 「夜になったら本当の雪になるよ」 と言い、私はそういうものかと夜が来るのを楽しみに待った。
 日も暮れ、辺りが暗くなった頃、私はそのガラス窓を見上げた。そこには父の描いた丸い雪が四角に切り取られた夜空の中に輝くように白く浮かび上がっていた。それはまるで父の言葉通りの本当の雪のようだった。この時節になると、時折あの雪の日を思い出す。
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# by kpage | 2005-12-22 23:05 | ■思ったこと | Comments(0)
2005年 12月 16日
まだまだプロローグだが
 『メタボラ』 は今日で18話を数える。うっかり読み忘れそうになるが、何とか読み、切り抜きもしている。というのも話の進度がいたってゆっくりなのである。自分の顔も分らぬほど記憶を失くした主人公が、訳も分からずヤンバルの深くて不気味なジャングルを抜け出す(逃走?)場面が延々と続いている。『花はさくら木』の毎話毎話が実に見事にまとまっていて、次話への仕掛けも明解で、小気味よく展開してしていたのに比べ、果たしてこれで毎日読者を引っ張っていけるのだろうかと心配になって来るほどだ。
 しかしそんな自分のジリジリする感覚をよくよく考えてみると、それは、訳もわからず、まるで『他人の夢の中』を彷徨っているようなと言う主人公の感じる行き場のない苛立ちと実はよく似ているのではないかと、ああ結構それが作戦かも、などとも思えて来るのだ。そして、じわりじわりと話の中に誘い込まれて行く、そのような感じがしてならない。それは、『メタボラ』という小説の漢字やカタカナ(時代が違うといえばそれまでだが)の使い方、使用頻度の高さからだろうか、『他人の夢の中』と言うような感覚とは裏腹の妙なシズル感と緊迫感を感じさせるのである。
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# by kpage | 2005-12-16 21:19 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2005年 12月 11日
防犯ブザーの音
 私たちの身の回りに溢れる音は、それは心安らぐ音楽であったり、何かを知らせてくれるものであったり、その目的はいろいろだ。身近な例では、朝の目覚まし時計に始まって、電話、ケータイ、インターホンなどの呼び出し音や、洗濯機や食器洗い機、電子レンジ、冷蔵庫などの通知や警告音など数知れない。うちのマンションでは、うっかり許容電力を超えてキッチンのブレーカーを落としてしまうと、連動したガス警報機の電源も切れてしまい、けたたましい警告音と共にマンションの管理センターから「どうしたのか」と一報が入る。外に出ればやはり音の洪水である。しかし、落ち葉が木枯らしにカサカサッと舞う音ならば、聞こえたら聞こえたで季節だなあと、人それぞれに感じ入れば済むことだが、人工的な音となると、各々に意味を持って鳴っているので当り前のことだがそれなりに注意が必要だ。
 今日の朝刊のあるコラムに防犯ブザーのことが載っていた。 『・・・持って来た防犯ブザーを鳴らしてみた。ビーンビーンと人工的な音が響く。・・・・』 とあり、おやっと思った。このコラムでは音色のことには言及していなかったが、私の知っている(昔、聞いたことのある)音はピーという連続音だったし、どうやら防犯ブザーの音が商品によって異なるようなのだ。気になって少し調べてみると、パトカーのサイレンなど色々な音を聞かせて、それが何の音か当てさせるあるテストで、他の音の正答率が80%以上だったのに対して、防犯ブザーの正答率は25%だったという。怖いくらいお粗末な話だ。
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# by kpage | 2005-12-11 16:16 | ■思ったこと | Comments(0)
2005年 12月 06日
モモの教訓
 近頃、株のインターネットトレードの話題がマスコミによく取り上げられる。一昨晩もあるニュース番組の中で特集的に紹介されていた。パソコンさえあれば家庭でも手軽に出来るため、主婦の間にも随分広まっているようだ。そう云う私も小遣い稼ぎくらいにと、つい最近始めてみたところだ。もちろん”始めてみた・・”という言い方からも伺えそうだが、まだまだおっかなびっくりの及び腰だ。株取引がいくらインターネットで簡単に出来るようになったと云え、その実やはり素人にはなかなか難しいままであって、それに株の世界をいくら家庭内に持ち込めると言っても、それが「欲望」と「恐怖」の交錯した非日常的な世界であることには全く変わりはない。そこまで分かっていながら何故なのかと言えば、人間の尽きぬ好奇心からとしか言いようがない。

a0006954_19561943.jpg ところでエンデの「モモ」(写真)やトルストイの「イワンの馬鹿」を読んだと言う方もおられると思う。私は「イワンの馬鹿」は読んだことはあったのだが、「モモ」は以前から実家にも我が家(今は見当たらない)にもあったのに関わらず、なんとなく読むことがなかった。どちらも現在、岩波書店から岩波少年文庫として出版されているが、「モモ」は図書館で借りて読み、「イワンの馬鹿」は著作権が終了しインターネット上で青空文庫(参照)として公開されているものがあり、これを利用して改めて読んでみた。なぜ「モモ」と「イワンの馬鹿」なのかと言えば、先日、三浦梅園について調べていた時、小川晴久という方の記事を読んだからだ。

一部をそのまま引用すると・・・
 『 エンデの「モモ」、トルストイの「イワンの馬鹿」を我々は繰り返し読まなければならない。「モモ」は時間の大切さを、時は金なりとしてではなく、時は生命(いのち)だと言う意味で説いている。「イワンの馬鹿」は農業の大切さ、肉体労働(からだを動かすこと)の大切さを説いている。頭を使い、時間を節約していくことが、私たちにこのようなせわしい生活をもたらしていることを考えるとき、この2冊の古典を私たちはバイブルのように日々読む必要がある。お金への隷属から少しでも脱却するためにも。 』

 「モモ」は、何事も ”効率の良いこと” が価値のあることであって、そうであればあるほど人はより多くの利益も生むのだという現代社会では極一般的な考え方に疑問を投げかけている。それは何も経済や社会のシステムという大人の世界に限ったことではなく、子供たちの遊びや勉強においても、 ”何々の為になる” といういわば不純な目的が本来の目的にセットで押し付けられる現実がある。昨晩のニュースで、小学校で職業意識を育てるためにとバーチャルな商店や貨幣を用いた各種の授業の取り組みを紹介していたが、その中でのコメントに少なからず疑問を感じたことがあった。正確な表現ではないが、「これで子供たちが職業に関して夢を持つだろう」というものだ。それは多分、今問題となっているフリーターやニートの問題を意識してのことだと思うが、子供の持つ「夢」とはそんなものでいいのだろうか。ましてや大人がお膳立てをして与えるものではない。「モモ」では、世の中でいう効率とは所詮こういうものだと言うのである。

 ところで、「イワンの馬鹿」において純粋のスポーツや芸術、芸能といったものは、どんな位置付けなのか若干気になるところだ。ただイワンは兵隊が唄を歌うことは好きだった様子であり、作者のトルストイ自身が作家であるのだから、丸っきりの筋肉派でもない。つまり、今の私たちの身の回りに溢れるいわゆる虚業を良しとしないということだ。また、イワンは兄弟から何を言われようが要求されようが、「何でも入るだけ持って行くがいい。私はまたかせいで手に入れるよ。」と、どんな理不尽なことでも相手を受け入れる。兄弟と全く争いにならない。さらに王となったイワンの国のある村に他国の兵隊が侵入した時も、その村人は誰も何一つ抵抗をしない、しないばかりか何でも欲しければくれやる。全く戦争にならない。結局何も抗わないイワンお国の勝ちである。これも大いに学ぶべきことだ。
 
 話は戻るが、今日の朝刊によると東証1部の時価総額が500兆円を超えたそうだ。これはバブル期のピークにも迫るらしい。近代に入って貨幣の機能は大きく変わって来ている。現在流通する貨幣価値のうち、実質的な売買に供されているのは僅か1~2%だということを何かで聞いたことがある。残りのほとんどが実質の伴わないいわゆる投資だそうである。その勢いはインターネットトレードにも見られるようにすごいものがある。かつて「花はさくら木 182話の感想」(参照)で、自由の気風がみなぎる治世であったがゆえに、田沼意次の謙虚な無私の精神がかえって幸福の偏在を許せなかった、と書いた。しかし今や、それをはるかに超えて経済システムのあり方は自由過ぎる。既に「モモ」や「イワン」がどう声を大にして訴えようがその声は瞬時にかき消されそうである。
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# by kpage | 2005-12-06 16:42 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2005年 12月 04日
居心地
 昨晩夕食を済ませ一服していると、内線電話(同マンション住戸間)が鳴った。出ると、もしIP電話を使っているようだったら聞きたいが、今電話が繋がっているのか、おかしくないのか、ということだった。
 実は我が家も料金が安くなるということでプロバイダが運営するIP電話の契約をしている。昨日の午後は息子のライブに行っていたので気付かないでいたが、3時頃から不通の状態だと言う。早速確かめてみると受話器を上げるなりピー、ピーと鳴ってばかりだ。その人は携帯で何度も問い合わせをしようとしたらしいが、ずっと話中で通じないらしい。これはもしかして自分のところだけのトラブルではないかと不安になって電話をよこしたらしい。
 それで、「うちも同じ状況だし、これは多分マンション全体か、あるいは地域的なトラブルか、取あえず皆んな同じような状況みたいですね。それで問い合わせも集中して繋がらないんだと思いますよ。まあ、待つしかないんじゃないですか。」と答えると、「ああ、そうなんですか、うちだけじゃないんですね、だったら安心しました。よかった、よかった!」との返事が返ってきた。はて何がよかったのか。よかったと言っても別に少しも状況が改善したわけではないが、ともかく皆んなと一緒だと何となく安心出来てよかったということだろう。気持ちはよく分かる。逆に自分ひとりが上手く行っていてもなんとなく居心地が悪くて落ち着かないということもある。日本人だなあと思う。
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# by kpage | 2005-12-04 15:09 | ■思ったこと | Comments(0)
2005年 12月 03日
息子のライブ
a0006954_22334781.jpg 今日は次男の所属する大学軽音部恒例のライブがあり家族総出で見に行った。昨年もやはり同じ頃にライブがあり行ったのだが、その時はちょうど人間ドックで不整脈と診断された (実際、そのころ鼓動のリズムがかなり変だった) 直後で、大音量の、特にバスドラムの音が心臓に響いてなんとなく気持ちが悪かった。それが今年は今年で今度は狭心症と言われ、やはり大音量に冠動脈が本当に縮こまる思いで聴き始めたのだが、しかしそれは文字通り全くの思いだけだったようで、途中からはそんなこともほとんど意識もせず演奏に拍手を送っていた。好きなことにストレートに弾ける姿が目に眩しかったからだろうか。蛇足ながら一番右が息子である。
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# by kpage | 2005-12-03 23:02 | ■身近の話題 | Comments(0)
2005年 11月 30日
私の作文技術
a0006954_11462163.jpg 先日「花はさくら木の感想」は文章の苦手な自分に課した勉強だと書いた。さてしかし、その成果は上がっていると言えるのかどうか。書いて更新する時には気付かないが、後から読んで見るとその文章に恥ずかしくなることがよくある。それでもこの頃は、自分で言うのはかなり図々しいのだが、僅かでもまともになって来ているような気がする。
 文章を書くには先ず自分の心の中に書きたいことがあるということが前提だ。しかしそれはここでは一旦横へ置いて、私の場合の問題は、とにかく文章を書くことに慣れていない、慣れていないからよけい少しはいい文章を書こうと意識する。そのあまり、知らず知らずのうちに紋切り型 (一見気が効いていそうだが手垢にまみれた表現) の連なる空疎な文章になりがちなことだ。しかも、時として読者が笑う前に文自体が笑っているような厭味な悪文になる。加えて基本的な作文法も充分心得ていない。
 実は、そういうことを私に教えてくれたものがあって、それは本多勝一著「日本語の作文技術」(朝日文庫)という本だ。ふらっと覗いた古本屋で見つけた1982年初版(この本自体は1991年の第20刷発行のもの) の随分古い本だが、理論に終始せず、著者が新聞記者としての現場を踏まえた上で解説をしてくれる非常に具体的で分かりやすい「日本語の作文技術」の本だ。上であげたような悪文のことは、「第八章 無神経な文章」の中で触れている。他に修飾語の順序や句読点の問題など、私にとっては ”まさに目から鱗” (これを紋切り型と言う) の内容が多い。特に句読点の打ち方は作文をする上で非常に基本的なことであるにも関わらず、小中学校を通じて充分納得の出来る説明を受けた覚えがない。むしろ作文が大の苦手な私は、それを逆手に取ったように字数確保のため、やたら「、」を散りばめたカスカスの文章を書いていたくらいだ。さすがにその頃に比べれば自分も進歩したものだと思うが、もっともっと、さらっとして分かりやすい文章が書けたらなあ、と思っている。
 この本の背表紙に多田道太郎氏の本文内の解説の一部が載っている。 『ちゃんとした日本語を書こうと思ったら、まず、勉強に本多勝一氏の「日本語の作文技術」を読め。これが私の持論である。・・・全巻を通読しなくてもいい。第一章から第四章まで読めば、それだけで確実に、文章はよくなる。この本はそういうスゴイ本なのだ。』 と。 『第一章から第四章』 とは序論的な内容と前述の修飾語の順序や句読点の問題についてのことだ。 『それだけで確実に、文章はよくなる』 のは個人差があると言うものだが、『スゴイ本』 であることは間違いない。
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# by kpage | 2005-11-30 11:52 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)


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