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2006年 04月 29日
検討と検証
 広告やカタログの類は通常、商品を検討するために商品を買う前に読む(見る)ものだ。ところが随分昔の話だが、車のCMを一番よく見る人はどんな人かという調査の結果、それはその車を買った人だったとか。人は広告で検討し、また検証するようだ。自分の買ったものの評判は買った後からのほうが気になるのかもしれない。
 いろいろ考えた末なのに、私もOLYMPUS E-500なるものを買って本当に正解だったのか結構気になるのである。いろいろサイトを見て周り(もちろん有用な情報を仕入れるという正当な理由もある)一喜一憂している。今のところ一喜一憂一喜のところでなんとか留まってくれていてほっとしている。
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# by kpage | 2006-04-29 23:12 | ■身近の話題 | Comments(0)
2006年 04月 28日
デジタル一眼
a0006954_2240043.jpg 最近は写真を撮るといえば専ら携帯だ。少々の旅行でもこれ一つである。コンパクトデジカメも持ってはいるが、ポケットや首に携帯の他にもう一つ同じようなものを持ち歩くのはなんとなく間が抜けているようで、わずらわしい気もする。しかしいくら最近の携帯の写真が高精度になったからと言っても所詮あの小さなボディーにあの豆粒ほどのレンズである、ある程度きちんとした記録も残しておかないといけないかなと思うのも自然な話だ。ならばとデジタル一眼の購入を決めた。
 OLIYMPUSのE-500レンズセット(昨年11月11日の発売で少し古い)、800万画素クラスの機種では今最安値で手に入る機種の一つだろう。CANONやPENTAXでもそんなに価格が違わないのがあるのになんでまたOLYMPUSなどと自分でも思ったが、やはり価格が安いのとクラス最軽量であること、そして一番にOLYMPUS独特の発色に惹かれるものがあってこれに決定。もっとも、実際に手に取ったり見たりしたわけではなく、正直不安もあったのだが。
 昨日宅配便で届き、今日一日室内や自宅周辺であれこれ遊んでみたが、そう簡単にうまく撮れるものではないことがよく分かった(当り前かも)。いろいろ設定を試しながら撮影をして操作には随分慣れて来たが、納得できる色調がまだ出せなかったのと、ファイルサイズの大きさに制約があったのとで、モノトーン(調)のものだけ3枚アップしてみた。よかったら見てください。K-galleryへ
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# by kpage | 2006-04-28 00:37 | ■身近の話題 | Comments(0)
2006年 04月 25日
目的がない
 「メタボラ」は今日で145話目。毎回ただの読み流しだが、一応朝食のパンをかじりながらの習慣になっている。雰囲気的にはもう話の3分の2は超えたのかなと思う。
 今の 『僕』 が記憶喪失の身であり、僅かに思い出したこと、つまり自分が集団自殺の生き残り (練炭の燻ぶる車内から一人逃亡し、しかもドアを閉めて立ち去った罪悪感にさいなまれている。) であることなどを隠し、若者たちがマスターを慕って集まるある安宿に長逗留しようとしたのだが、マスターはそれを敏感に感じ取って問いただす。そして嘘を言って済まないと謝る 『僕』 に言う。 『ここに来る若いヤツらはみんな嘘は吐かないよ。嘘吐けるほど、悪くないんだ。他人を陥れようなんて思ってもいないし、心 優しい。それは、目的がないからだよ』  そう言う彼自身そんな優しさを肯定してはいない。彼の目にはヤツらは放浪者だった 『前の俺と同じ』 と映っているのだ。
 人生とは一生自分探しの放浪の旅かもしれないが、ただ希望だけを頼りにいくら彷徨っても探し物は得られない。しかし希望に胸を膨らませるだけなら他人と抗うこともない。目的とは人の意志に由来する。世の中、意志のあるところいささかの軋轢はあるものだ。本当の優しさとはどんな状況下でも変わらぬ優しさを維持出来る意志を持つということだろうか。
 だから、この若いヤツらが、彼等が夢を夢見ているうちはいい。しかし明らかに夢が破れた時、彼等はどうやって心と現実の辻褄を合わせるのだろう。そこが少し怖いところだ。その一方で私には、要領よく効率ばかりの世の中に抗うわけでもなく背を向けるでもなく、明日を夢見ながら飄々と生きる彼等の方が、よほど自然な生き方をしているように思えてならないのだ。
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# by kpage | 2006-04-25 22:56 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 04月 23日
映画「ひだるか」
a0006954_2113922.jpg タイトルになっている「ひだるか」というのは、福岡県大牟田市の特に昔三池炭鉱の労働者の間で使われた言葉(方言)だと言う。「ひもじくても食べる気力も沸かないくらいだるい」ような意味らしい。そんなどうしようもない閉塞感、倦怠感を感じた時「ひだるか~」となるようだ。上映会の実行委員をされている方に誘われ今日それを観て来た。今後全国各地で上映予定だという。
 話の背景にはもう半世紀近く前に起こった三池闘争がある。若い頃、三池炭鉱で働いていた父を持つ主人公は、福岡市のあるローカルテレビ局で人気キャスターを務めている。この放送局は今深刻な経営不振に陥っているのだが、外資を受け入れることによってその難局を乗り切ろうとする。しかし、そのために大規模なリストラはもとより、経営内容の大幅な変更まで計画されていることが分かり、組合は当然これに猛反発する。ところがある日、主人公は会社寄りの考え方で事態を収拾させようとする第二組合の設立の話を聞き、協力を求められることになる。体のいい客寄せパンダである。正に第二組合を作り組合を分裂させ更に人の心まで分裂させた、あの三池闘争と対比させながらストーリーが進んでいく。
 イデオロギーが廃れてもう久しい。労働運動にしても真に横串でまとまる闘争など既に存在しないかのようである。人や組織がそれぞれ独自の価値観を持ち、ライフスタイルも多様化した今、あるのは個々の争議であり、個々の訴訟である。それらがそれぞれに重要なテーマを含んでいてもなかなか問題を共有し難い時代になっている。私たちはもう少し視野を拡げなければいけない、そんなことを問われたような気がした。
a0006954_23312175.jpg 上映後、監督も飛び入りで労働歌が数曲披露された。左の写真は途中から全員「団結」の2文字を染め抜いた鉢巻姿となった合唱団の雄姿である。最後の曲は私たちには大変懐かしい労働歌「がんばろう」。私も久しぶり(30年)に歌ってしまったのだが、隣の女性の楽しそうな、そして大きく張りのある声に驚いた。若い頃はさぞ熱血の闘志だったのかもしれない。私は全然熱血ではなかったのだが、入社当時、新入社員が支部長をやる、そういう決まりになっているのだから、と半分だまされたような形で組合の支部長をやらされた。そんなことだから三池闘争ほどの切実感があったはずもないのだが、ストライキやピケなどは経験した。そんな折、集会にギターを抱えて行って皆で歌った記憶がある。今回の上映会、映画の本来のテーマをじっくり考えるよりあの頃の懐かしさに浸って満足の人も多かったのではと思う。 
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# by kpage | 2006-04-23 23:43 | ■身近の話題 | Comments(0)
2006年 04月 17日
Flashがおかしい
 実はおかしいのはFlashではなくて、それを表示するブラウザである。今日アドビシステムズから以下のようなメールが届いた。
『 マイクロソフト社より4月12日に公開された、Internet Explorerの4月度月例更新プログラムをインストールするとInternet ExplorerがActiveXコントロールを処理する方法が変更されます。
 その結果、一部のWebページを閲覧する際FlashやShockwaveによるアクティブコンテンツの対話的処理が自動的には有効化されなくなります。有効化するには、閲覧者がアクティブコンテンツをクリックする必要があります・・・・・・ 』
 そういえば3日ほど前、パソコンの終了時にボタンを押し間違えて、Microsoftからなにやらインストールされたことがあった。また何かのアップデートだなくらいに思っていたが、その後なぜかWEBサイトのFlashの部分にマウスに合わせる度にその部分が四角に囲まれてクリックせよと警告が出る。変だなと思いつつ、煩わしくて仕方がなかったのだけれど、これが原因だったようだ。
 これはMicrosoft と Eolas Technology というところの特許を巡る紛争の影響らしい。もっともこれは随分前から揉めていたらしいが、私は全く知らなかった。ことの成り行きではHTMLの仕様にまで影響が及びそうである。FlashなどのファイルをHTMLから読み込んで表示する仕組み(objectやembedなどのタグを使うこと)が係争中の特許に関わるらしい。ただ、これはHTMLから直接読み込む場合で、外部ファイルでワンクッション置く場合は除外されるらしい。しかし、これも一つ二つならいい。沢山あるとちょっと面倒。効率的なやり方もサポートのサイトに載っていたようだが、敷居が高そうでやはり面倒。読むのも止めた。下の画像はブログのページだが、これは業者にお任せするしかないか。
 Microsoft も Eolas Technology もユーザー置き去りの対応は止めてもらいたいもの。今のところFirefoxやOperaなど他のブラウザ (いずれブラウザに限らず、いろんなところで影響が出てくるかもしれないが) は大丈夫のようである。次期バージョンンのIE7も同じ対応らしい。この際IEは乗り換えたほうが賢明なのかも。
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# by kpage | 2006-04-17 22:49 | ■WEB | Comments(0)
2006年 04月 16日
鎮魂の連鶴
a0006954_14301622.jpg 昨日の夕刊に昨年4月に起きたJR宝塚線脱線事故で娘さんを亡くされた方が鎮魂にと107名の犠牲者と同じ数の107羽の連鶴を完成させたという記事があった。107名の中に含まれる運転手も遺族を思うと同じ犠牲者、との気持ちに健気にもこの連鶴を折られた方はこだわっておられる。
 日本人が死者を祀るのは正に鎮魂(祟り封じなどというものも含めて)であって、この方のような気持ちも併せて考えると、死んだものは同じという感覚は日本人の一般的な社会通念だと思う。ただ、それはあくまで社会通念、総論であって、各論ではそう簡単にには行かない。
 この連鶴とは全く事情は異なり、政治的にも複雑になってしまっているのだが、靖国問題の根本も国家や民族の間に横たわるこのような文化の違いであることは言うまでもない。と言って、お互い自国の文化を隣国に押し付けるのはおかしいし、日本人といっても各論はバラバラであって、尚のこともっと他国の人たちの気持ちは推し量るべきである。その難しいバランスを取るのが政治というものだが、なぜそんなことを言われなければならないのか分からない、程度の反論で無視を通そうとする小泉流では双方からいくらも歩みよりは得られない。
 試しに連鶴を2羽だけだが、そこらにあったチラシで折ってみた(写真)。3羽だと真ん中のを折るのは両端引きずって大変だろうなとか、折ってもいないうちからお手上げだ。107羽なんて実際どうやってるのだろうかと思う。
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# by kpage | 2006-04-16 10:24 | ■思ったこと | Comments(0)
2006年 04月 13日
ブログタイトルを改めました
「+K's Page+」を改め、「K通信」としました。
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# by kpage | 2006-04-13 23:14 | ■お知らせ | Comments(0)
2006年 04月 13日
エリック・ホッファー自伝
a0006954_1434821.jpg ホッファーは例えば自らが属した季節労働者の集まりを、社会的不適格者もしくは人間のゴミの集まりと自嘲しながらも、一昔前未開の西の荒野へ向かった開拓者の多くはそういったタイプ人間であったと言い、その情熱は根底を探れば自己の内面の不完全、確かざる自分というものに行き当たると言う。情熱はまるでそれを補完しようとする反作用であるかのようである。わが身をあえて不安定な状況に置くことがホッファーの思索活動のベースになっている。
 彼は「芸術家」の章でこう述べている。『慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠のよそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家であることの証なのである。』。私は芸術にしろ宗教にしろ本物に出遭う権利を持つのは真に渇望する魂のみであろうと思っているし、それは多くの場合、経済的な貧しさや困難を伴うものかもしれないと思っている。しかし意外にもホッファー自身は渇望の源泉を必ずしも貧困に置いていたわけではない。貨幣は弱者が絶対権力者に対抗して発明した道具であり、権力は分配不能だが、貨幣は自由と平等を出現させたと持論を展開し、『高邁な理想によってのみ人々が行動し奮闘する場所では、日常生活は貧しく困難なものになるだろう。』と私のような考え方には懐疑的である。そして貨幣の崩壊は文明の崩壊とまで言っている。それが普通の感覚というものなのかもしれないが、文明と言うもの自体どれほど悪の根源なのかと私には思えてならない。ただ、いわゆる学歴のないホッファーが望む望まないに関わらず身を置いたのが、前述したところの例えば季節労働者であったということである。独り者のホッファーに、かつかつの必要充分の収入を約束し、自由になる時間も確保する反面、自らの言う社会的不適格者に甘んじることの不安定さが、彼の学問への情熱を絶やさず燃やし続ける原動力となり、また独自の世界を拓く鍵であったことに間違いないだろう。
 さてこの自伝の原題は "Truth Imagined ERIC HOFFER" である。"Truth Imagined" は副題として『構想された真実』と訳されている。ホッファーはユダヤ人が世界最初の比類のない語り手であり、現在のあらゆる分野における先駆的な役割を演じていると高く評価した上で、『真実を構想して未知のものを思い描き、物語を語る能力は、未知のものを探る上で必要不可欠な能力』だと言う。おそらくホッファーは全くの無神論、無信仰の人間である。『山を動かす技があれば、山を動かす信仰はいらない』 だったか、そんなホッファーの言葉もどこかで見た。現実は、人間に山を動かす技術などありはしない、あるのは高々山を削り穴を掘る技術である。ホッファーにとっては宗教や信仰も科学の真理も一切同列に構想されたものとしての真実(真理)だったようである。それとも人間の考える真実などそもそもその程度のものとして、その先を見据えていたのだろうか。
 しかしホッファーのこの世の中と人間との営みを見抜く眼光は鋭い。そのエッセンスの凝縮された数々のアフォリズムはいかにも気が効いていて面白い。本著の中で気に入ったものがある。
『自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことに取り掛かるのはた易いが、それをやり遂げるには勇気がいる。』
 確かに希望は一体に何の根拠もない根無し草のようで、ふっと吹けば飛んで失せてしまいそうである。一方、勇気の発露するところは確実に存在する自分の意志なのである。
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# by kpage | 2006-04-13 14:04 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 04月 09日
黄砂煙る
a0006954_0203495.jpg お花見にと出掛けた大阪城公園から帰って来てしばらくして何気なく西の方を眺めると、街全体にボンヤリもやがかっていて太陽が西の空に白く抜けている。「ああ、これは黄砂なのか」とその時やっと気付いた。実は折角花見に行ったというのに、咲き誇る桜はなんとなく精彩を欠いていて、これも都会特有の白っぽい空のせいかなと単純に思いながら、結局桜の花は写真一枚も撮らずじまいだった。
 この黄砂なんとなく招かれざる客のイメージが強いが、先日の新聞紙面だったと思う、海面に運ばれ舞い降りた黄砂の鉄分によって植物性プランクトンの発生が促されて二酸化炭素が取り込まれることで大気中の二酸化炭素濃度を減少させる効果がある、というようなことが確か載っていた。自然の叡智には頭を垂れるばかり。
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# by kpage | 2006-04-09 00:21 | ■身近の話題 | Comments(0)
2006年 04月 01日
「風のハルカ」最終回を迎える
 一転二転するハルカの恋の行方にハラハラしながらも、大方の視聴者の望む通りの結末に落ち着いた。さらにハルカの周りの登場人物も皆が皆揃ってハッピーエンドになるのだが、これだけ徹底されるとなかなか清々しい。父陽介と村崎静子のことについてもハッピーエンドを予感させる形で終わるのだが、不安材料はすでに払拭され、視聴者としては安心して二人のその後を想像することが出来る。余韻を残しつつも爽やかな終わり方だ。
 そのようにして、いくつもの新しい家族を生んだこのドラマのテーマは「家族の絆」だが、それ以上に、登場する人たちの様々な生き方や職業観、特に父陽介のレストラン実現までの挫折と苦闘のドラマは私たちに人生を送る上での一つのヒントを示してくれている。とは言っても見ていてことさら胸を痛めたり、何かを真剣に考えさせると言ったおこがましさはなく、一日の始まりに見るものとしては軽く明るく楽しいよく出来たドラマだったのではと思う。
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# by kpage | 2006-04-01 15:51 | ■身近の話題 | Comments(0)


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