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2006年 03月 27日
兵庫陶芸美術館
a0006954_22394646.jpg 昨年10月1日オープンしたばかりの真新しい立派な施設だ。陶芸美術館だから当然だろう陶製らしいオブジェが中庭にある。しかしそれより印象的なのは、スギやヒノキなのだろうか建物の内外の壁や床や梁などに木材が多く使われていることだ。立杭焼の里は林業の里でもあると言うことか。通常この手の施設ならば床や壁に陶器や陶板やらが埋め込まれてあったりというのが通り相場なのだが、昨日はあまり気も払っていなかったので見落としはあるのだろうが、思い返しても見ても不思議にその類の記憶がない。そういう意味でも新しい美術館だが、窯で焚く薪に間伐材なども利用され窯業と林業とが互いに支えあっているようにも見える。
 また時間的に余裕がなくてバーナード・リーチ展しか見れなかったという思いがどこかあったのだが、それもそのはず、5つある展示室全てを今回の特別展に使用しており、1000点ほどあるという美術館の所蔵品の常設スペースという考え方はここにはない。あとから美術館のHPを見てみると、その代わりに「所蔵品展」なるものを開催して紹介するとある。特別展をやるからにはお茶濁しでなく、徹底した規模と内容を目指す姿勢といっていいのだろうか。その企画の立案と実施、運営は大変だ。六古窯の一つという名ばかりに安閑とはしておれないという厳しい現実もあるだろう。また訪ねる機会を楽しみにしている。
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by kpage | 2006-03-27 22:45 | ■アート
2006年 03月 27日
立杭焼の大皿
a0006954_1325976.jpg 昨日「バーナード・リーチ展」を見に立杭焼の里にある兵庫陶芸美術館へ行って来た。バーナード・リーチの足跡を関わりのあった作家の作品と併せて展示し紹介している。これについてはこちらを。
 さて随分古い話である。この美術館の裏手に「虚空蔵山」という山がある。この山の標高は600mにも満たないのだが周囲が開け、山頂も岩場で視界を遮る木立もなく、スカッと気持ちの良い眺望の山である。7年ほど前、趣味として少し前後して山歩きと陶芸を始めたのだが、山歩きとして一人で初めて登ったのがこの山だった。この時は美術館とは山の反対側にあるJR福知山線「藍本」駅を起点に山頂を超え汗ぐっしょりで反対側の立杭焼の里へ下りて来た。当初は同じ道をまた折り返して下山するつもりだったのだが、山頂で出会った人から立杭の方へ下りる道を知り、山歩きと陶芸一挙両得のうれしい旅となった。
 里に下りてから帰りのバスの待ち時間が1時間ほどあったので、バス停に近い窯元の売店を覗いていたら、大きさの割りに安くて感じのいい大皿が目に留まり、つい買ってしまった。それが写真の皿だ。私は直径31cm余り、結構な重さのこの皿を疲れた肩のリュックにギュッと押し込んで意気揚々と帰路に就いたのだが、今回は交通機関の繋ぎの悪さであまり時間に余裕がなく、残念ながら窯元を訪ねたりすることは出来なかった。「残念ながら」というのは7年前この大皿を買った時、売店で接客してくれたあのおばあちゃんがまだ元気でいるのかな、と少し思ったからである。あの時忙しいだろうに、時間を持て余す私の話相手になってくれ、しかも皿を無理やりリュックに詰め込んで帰ると言う私のために、割れないようにと時間を掛けてしっかりと皿を包んでくれた。その上、代金の端数をマケてくれたあのおばあちゃんは今も元気かなと。残念ながら、そんな思いの欠片を残したまま、私を乗せたバスは立杭焼の里を後にしたのだった。
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by kpage | 2006-03-27 13:06 | ■身近の話題
2006年 03月 23日
教師宮沢賢治
a0006954_14454630.jpg 宮沢賢治が花巻農学校で教鞭を振るったのは1921年から1926年にかけてのほんの僅かな期間である。この本は著者が1988年の初版当時すでに80歳を超えていた賢治の教え子の幾人かに直に聞き取りをして教師宮沢賢治の実像に迫ったものだ。著者は賢治の実践した教育を現代の学校教育の抱える問題を解決するための先行モデルとまで言っている。
 もっとも教師の仕事のやりにくさは賢治の時代の方がもっとひどかったのでは、という状況下で、 『今で言う○×式の授業に真っ向から反対し、イメージと、ゆとりと、個性を尊重する、弾けるように生き生きとした授業を実践した』 という、そのような雄雄しい賢治像は正直なかなか想像しづらい。彼が意外に淡々と(内実は別かもしれないが)それを実践できたのは、彼を招いた校長の人物に依るところが大きかったようである。教師自身ばかりではないこういう要素の重要さは教育の現場では今も昔も変わらないようである。
 賢治の実践した生き生きとした授業とは、頭ではなく体で覚えること、そうするとその身に付けた知識に感動するのだと言うことである。感動したものは易々とは忘れないからである。どうやれば知識に感動できる授業が出来るのか。実例の証言が数々載っているが、その秘密の鍵は技術的なことよりもおそらく賢治自身の全人的な部分に負うところが大きい。それに賢治が最終的に教え子達に教えたかったのは、実はその感動そのものの大切さだったと言ってもいい。意図してなのかどうか、詩人、童話作家としての賢治は教え子に度々自らの詩や童話を朗読して聴かせることもあったと言うが、きっとそれは教え子達の知識を生かすための人格を鍛え、感動するための感受性を育んだに違いない。
 ところで教え子らの証言の中にも賢治独特のものの見方や捉え方が垣間見える。
 『賢治先生は、いっぱい生徒がいる中で、一人としてないがしろにしませんでした。いつも、眼を鋭く見抜かれているような気がしていました。一人一人個別に向けてというのではないが、それに真正面からというのでもないが、誰もが、見抜かれているという感じを持たされたものでした』
 『誰か生徒と向き合うとき、それが勉強の場であっても、こうした人生の歩みの場であるときにも、常に賢治は、今目の前にいる生徒を、今目の前に見える姿ではなく、相手がかくあるはずだという理想の姿に置き換えて話していた』
 『どこで学んだのか、自分で編み出した技術なのか、ほとんどただめくるだけのようなスピードで指を動かしながら、頁の右上かの角から左下隅に向かって斜めに速読出来る技術を、賢治は持っていた』 ・・など、時間的にも空間的にも少し先を見ているような、いわば4次元的感覚である。この感性あってのあの童話群なのだろう。教師退職後に書かれた以下の「農民芸術概論綱要・序論」(青空文庫より)に、賢治のこの辺りの拠りどころとするものが端的に整理し著わされている。

  おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
  もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
  われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
  近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
  世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
  自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
  この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
  新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
  正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
  われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である 

 学校(農学校)では机上ではない実に地に足の着いた教育を実践し、農業(特に度々冷害に悩まされる東北地方の)、農民に寄せる賢治の思いは尋常ではなかった。しかし意外に地元の農民には、お坊ちゃんの賢治はあまり受け入れてもらえなかったらしい。ただそれも賢治の実像だろう。『預言者は、自分の郷里、親族、家族以外では敬われないことはない』 とは聖書にある言葉だ。
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by kpage | 2006-03-23 14:56 | ■書籍・雑誌
2006年 03月 17日
ナルニア国物語
a0006954_22341074.jpg キリストの福音などと言うものに予備知識があまりなくても、それなりに楽しめる本だろう。ストーリーの展開と場面の展開とが掛け合いワクワクドキドキさせる独特のリアリティーはコンピュータゲームのそれと同じで(というよりこの物話の方が先生だろう)、書籍の段階から既にすごく視覚的だ。今映画化され話題になっているのも今の子供たちや若い世代にもぴったり来る感性を持っているからに違いない。興行的にはハリーポッターの二匹目のドジョウかもしれない。もちろん若干でも聖書の知識を持って読むなり、観るなりすれば味わいは随分深いものになる。特に後半はいろいろ示唆に富む箇所が多い。
 シリーズとしては1950年出版の「ライオンと魔女」をはじめ7冊あるのだが、「ライオンと魔女」は息子が買ってきた。順番に読んでみようと翌年1951年出版の「カスピアン王子のつのぶえ」の文庫版を探すのだが近くの書店にはなくて(単行本はあるが値段が倍もする、でも確か挿絵はカラーでキレイだった)、今日ウォーキングの途中で寄った大きな書店でやっと見つけて買って帰った。1951年は私の生まれた年。随分昔の本だ。
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by kpage | 2006-03-17 22:36 | ■書籍・雑誌
2006年 03月 03日
輝く
 NHK朝連ドラマ「風のハルカ」のハルカの父陽介が主役の娘ハルカを凌ぐ勢いでこのところ輝いている。もっとも既に何話か前に倉田旅館の主人宗吉に 「ハルカが帰っち来ちから陽介さん、あんた輝いちょるねえ。」 などと言われていたのだが、妻の反対を押し切ってまで脱サラして叶えようとしたレストラン、一旦は挫折していたそのレストランの夢が、陽介自身による自然農法から生まれた野菜の料理店と言う形で、今現実味を帯び始めているのだ。
 何をもって輝きとするのかは人それぞれだが、消えたりしぼんだりの紆余曲折であろうとも最期は輝きのピークで迎えたいものだ・・、そんなことを考えていたらエジソンの電球のことがピカリと頭に浮かんだ。従来の白金のフィラメントを使用した高価な電球ではなく、誰もが気軽に利用出来るようにと、より安価な炭素繊維のフィラメントを求め、エジソンが最も満足のいくフィラメントの素材として6000種にも及ぶ植物繊維の中から選んだのが日本の京都の真竹である。みずみずしい真竹の繊維は焼けて焦がれて真っ黒な炭素繊維になってこそなお輝く。願わくは、同じように人生どれほど焼けて焦がれようともなおさら輝くものでありたいと思うのである。
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by kpage | 2006-03-03 13:30 | ■思ったこと


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