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2006年 01月 31日
ふるさとの言葉
a0006954_923868.jpg 放送が始まってもう半年近いのだが、嫁さんに言われて昨日からNHKの朝連「風のハルカ」を録画している。パソコンは必要があってそれなりに使いこなしてはいるが、ビデオ(今時のDVDやHDDではないのだが)となると録画予約が今もって出来ない(覚えない)でいる。ケーブルTVのJCOM経由ということも面倒臭くしている一因だ。
 だから、録画はいつもリアルタイムだ。ところが、えてして直前になってふっと違うことに気を取られたり、電話がかかって来たりということになりがちで、今朝も直前まで息子とうっかり話込んでいて危ないところだった。
 「風のハルカ」は朝連では始めての大分(由布院)ロケだ。折もおり、母が由布院に療養中で、帰省の時に舞台となるあのレストランはどの辺りなのだろうと気になっていたものだ。
 私が「風のハルカ」で楽しみにしているのは故郷を遠く離れて聞く大分弁だ。大分弁は九州の中でも、「~よかよか」とか「~とね」などと言う、福岡から佐賀、熊本、長崎にかけてのいわゆる九州弁系ではない。マイナーな方言だ。鹿児島弁ほどのインパクトもない。それが全国区に出るのかと大分県人としてはもうとてもうれしかったのだが、「大分弁でしゃべるちゆうてん、テレビんドラマじゃけんのう、どげーじゃろか。」 と期待半分ではあった。それが始まると結構やれてる。「よしよし」と胸をなでおろし毎日楽しみにしている。 
 その大分弁の案外な奥深さをコミカルに且つアカデミック?に紹介しているのが「大分弁語録解説」だ。もう30年も昔の本だが、冒頭にこんな例文が載っている。英訳付だ。
   あんきんねきィあるきーねーなあ、なんな ?
   What's that yellow thing at the base of the tree ?
本当、大分弁ち、おもしりーにィ。
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by kpage | 2006-01-31 23:51 | ■書籍・雑誌
2006年 01月 27日
日本の唱歌
a0006954_18204297.jpg 「日本の唱歌」(飯塚書店1980年発行)には明治から昭和にかけての唱歌が187曲収録されている。唱歌とはそもそも戦前の音楽教科のことなのだが、戦後は文部省唱歌として引き継がれている。
 私たちの世代では小学校の頃は音楽の時間はもちろん、バス遠足の車内などでも極普通に歌っていた。あの頃は音楽のジャンルも量も今に比べればかなり限られていたから、それで充分楽しかったが、今はそうは行かない。小学生でもいろいろな音楽を様々に楽しめる環境にあるから、地味な唱歌はなかなか辛い立場だ。それでも唱歌ではないが「おじいさんの古時計」のように、当初は子供の歌として紹介された曲が何十年か経って、大人の歌唱、鑑賞にも耐えうる曲として蘇ったように、そんな試みはもっと必要かもしれない。
 選定に当たっては随分試行錯誤はあったのだと思う。曲作りに際しては、キリスト教会における賛美歌の与える影響も大きかったように聞く。もちろん賛美歌自体が当時の日本人の西洋音楽へ対する窓口の一つだったのだが。日本の唱歌には多分にその香りがする。が、とりあえずはシンプルで日本人にも馴染み易いものを西欧の曲から採用したことが伺える。
  「見わたせば(現タイトル、歌詞:むすんでひらいて)」 ルソー作曲
  「蛍の光」 スコットランド民謡
  「かすみか雲か」 ドイツ民謡
  「菊(現タイトル:庭の千草)」 アイルランド民謡
  「故郷の空」 スコットランド民謡
  「とうだいもり」 イギリス民謡
  「埴生の宿」 ビショップ作曲
と続いている。
 それでも、ただ西洋音楽一辺倒でもなく、中には鎌倉初期の天台座主で歌人の慈鎮和尚による「春のやよい」や、「さくら」など日本の古謡も採用されている。
 この187曲を時代を追って眺めていくと、明治の西洋文化に追いつけ追い越せの時代から戦後(太平洋戦争後)にかけての時代を駆け足で駆け上るような気になる。特に明治時代の唱歌の傾向として富国強兵策の影響が露骨だ。それでも、かわいいところでは「ももたろう」や「きんたろう」など昔話を題材にしたもの、「うさぎ」や「鳩」など小動物を題材にしたものが目に留まる。66番迄もある「鉄道唱歌」の後、しばらくして52番迄ある「電車唱歌」が現れるのはいかにも二匹目のドジョウだが、世の中の進歩でもある。
 そんな中でも私がとても驚いたのは「蛍の光」の歌詞だ。今では2番までしか歌われていないが、実は3番、4番の歌詞がある。以下に全歌詞を付記したが、通して歌うと、今日私たちがイメージする「蛍の光」とは全く別ものである。この歌詞が終戦直前まで歌われていたのだろうか。唱歌にも謳われた日本の常識と言うことだったのかもしれない。
 昨年の11月14日、私は沖縄の南部戦跡を初めて巡った。そこでやはり考えさせられたのは、あの悲劇の悲劇である所以は決して米軍の猛攻だけによるものではないこと、それ以上に当時の沖縄の、沖縄の人たちの置かれた立場であったということである。正にこの歌詞のように。
  「蛍の光」 作詞:稲垣千頴
  一、
  ほたるの光、窓の雪。
  書よむつき日、重ねつつ。
  いつしか年も、すぎの戸を、
  あけてぞ けさは 別れゆく。
  二、
  とまるも行くも、限りとて、
  かたみに思う、ちよろずの、
  心のはしを、一言に、
  さきくとばかり、歌うなり。
  三、
  筑紫のきわみ、みちのおく、
  海山 とおく、へだつとも、
  その真心は、へだてなく、
  ひとつに尽せ、国のため。
  四、
  千島のおくも、沖縄も、
  八洲のうちの、守りなり。
  至らんくにに、いさお しく。
  つとめよ わがせ、つつがなく。
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by kpage | 2006-01-27 22:52 | ■書籍・雑誌
2006年 01月 22日
ちはやふる奥の細道
a0006954_1565783.jpg メタボラは今日で54話目を数える。昨日の53話から第2章に入った。入った途端、物話の語り主がそれまでの『僕』から、『僕』と行動を共にしている『おいら』に替わった。さてこれは主人公が替わったということなのか。この先、また他の誰かに替わることがあるということなのか。複数の主観を交錯させながら一つの話を俯瞰するという組み立てはとても面白い。
 面白いといえば、昨年末に古本屋で買った 『ちはやふる奥の細道』(小林信彦著1983年発行) という本が今手元にある。実はまだ少し読んだだけで、そのうちにと積読しているのだが、この本全体の構想が面白い (もちろん個々の内容もだが、そもそもが河村要助氏の装画に惹かれて買ったまでだ)。
 この本はW・C・フラナガンという、かなりトンチンカンな知日家の米国人の著書 (ROAD TO THE DEEP NORTH) を小林信彦氏が翻訳したというのが建前なのだが、このW・C・フラナガンという人物は全く架空の人物で、実は小川氏自身の創作による小説だったのである。私はそうとは知らずに読み始めたのだが、そのあまりの勘違いにこれは何かあるなと、早速巻末の『作者ノート』というのを読んでやっと事情を理解した。
 『 ワビとサビは(日本人特有のあいまいさゆえに)、ワビ&サビ、という風にいっしょに用いられることが多い。それどころか、ときには、<ワサビ>という形で、一つに括られてしまうことさえある。 』 など、その勘違いは並みではない。
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by kpage | 2006-01-22 15:11 | ■書籍・雑誌
2006年 01月 20日
安全第一
 本日米国から輸入された牛肉の一部から脊柱の混入したものが見つかり、即刻再度輸入禁止措置となったらしい。そもそも、今回の輸入再開のための安全基準自体が納得できるものではなかったのだが、その条件すら簡単に反古にされる事態は全く信じがたいことだ。これはまだ米国の畜産業界が取り決められたことをきちんと実行できる体制になっていなかったということであって、先ずなによりも彼等の安全に対する意識改革が急務である。安全基準云々はその後の話ではないだろうか。
 実は昨日よりある焼肉チェーンが米国産牛肉の一般客への提供を始めた矢先、本日の朝刊にもそのチラシが折込されたところだ。チラシには下記のような付記があって、かえって私としては若干の疑問を持たざるを得なかった。 
 『 当店ではお客様が安心して、選んでお召し上がりいただけるよう表示と管理を徹底しております。 』 
 当然のようだがよくよく考えると、米国産とその他の別は明確にするが、どれを選んで食べるのかはお客様の自己責任だと言っているような感じがしてならない。それは私のあまりにも穿った考え方というものかもしれないが、日本国内の小売業界、外食業界の米国産牛肉の扱いについての考え方自体が様々なのだ。しかし少なくとも(一部の)消費者が提供を強く望んでいるからという理由だけで踏み切るのは間違っている。要は安全であり、それは小理屈を並べなければ説明出来ないような安全ではなく、子供でも誰でも直ぐに納得出来る安全である。
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by kpage | 2006-01-20 23:30 | ■行政
2006年 01月 18日
新しい文化
 昨晩長男が iPod  を買って来た。スポーツジムで使うのに小さくて便利だと言う。そして今日、朝刊に 『iPod想定外』 と題した記事(参照)が載っていた。使用環境の違いはあってもユーザーのほとんどが音楽を聴くための若い世代ばかりだと思っていたら、意外にサラリーマンの通勤途上や様々な教育現場など結構裾野は広いようなのである。その要因に 『大量の音声データを持ち歩ける特性』 をあげている。新しい技術は想定外の新しい文化を生む。ケータイなどはその最たるものだが。
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by kpage | 2006-01-18 11:37 | ■文化
2006年 01月 13日
書名
a0006954_19414022.gif 「原寸美術館」の話題をもうひとつ。綴じの部分に印刷されている文字がたまたま目に入ったのだが、縦書きで「10折 小学館 実物大美術館」と読める。稀に出版されてから途中で変更される書名もあるくらいだから、仮名を用いて問題のない部分から印刷に入ることは、工程管理上からも許されて当然だろう。
 確かに「実物大~」ではあまりに説明的過ぎるし、まるで昆虫図鑑でも見るような気がしないでもない。「実物大」と「原寸」、さてどう違うのか。書名の決定に際しては、意外に奥の深い笑えぬ議論が交わされたのではと想像している。
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by kpage | 2006-01-13 20:38 | ■書籍・雑誌
2006年 01月 10日
フェルメール
フェルメールを好きな画家の一人に挙げる人は多いと思う。私もその一人だ。もう10年も前のこと、フェルメールを50頁にも渡り特集を組んだ雑誌があった。「原寸美術館」のフェルメールの頁に来てふと思い当たり書棚を探ってみた。BRUTUS1996年9月1日号だ。
 BRUTUSはその中で現存するフェルメールの36作品すべてを図版で紹介し、詳細な解説を添えているのだが、今あらためて読んでみると、その内容の意外な深さに驚かされる。そのこだわりは専門書でもない一介の雑誌とは思えない(BRUTUS目次参照)。
 「原寸美術館」でもフェルメールの絵の独特な距離感や静寂さについての指摘がされているが、それがカメラオブスクラの使用によるものであることも当時から既に定説だった。ただ10年前と現在の社会の違いが現れていて、また面白い指摘だと思ったのは、距離感についての解説だ。『モデルは画家をまったく意識することがない様子。・・・・・かたわらから投げかけられられている視線に気付きもしない。・・・・・画家の視線は今でいう「盗撮」の視線ではないか。』 と結城氏が述べていることだ。
a0006954_91016100.jpg 確かにフェルメールの作品には右の作品のように少し離れた位置からいかにもそっと覗くようなアングルのものが多い。それは対象に対して関わりを持つことは好まない(面倒だ)が、それでも関心は充分にある、といった現代人の屈折した気持ちとうまく波動が合うような、そんな作品だと言えなくもない。
 しかし、盗撮でなくともこういうアングルは今ではどこにでも見られる。それはフィルムではないデジタルカメラによるもので、フィルムと違いここぞと思ったところで失敗を気にせずバシャバシャとシャッターを切れるのがデジタルカメラのありがたいところである。そういう撮り方に撮られる方も慣れてくると写真は勢いカメラ目線ではない、良く言えば自然なものになっていく。悪意からではない盗撮的な撮り方も当然出て来る。そのような現代性もフェルメールの作品が私たちを魅了して止まない理由の一つだろう。
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by kpage | 2006-01-10 22:04 | ■書籍・雑誌
2006年 01月 08日
画家の手もとに迫る 原寸美術館
a0006954_22191743.jpg 市立図書館へ予約を入れたのは昨年の7月8日のことだ。言われて一瞬何のことかと思ったが、昨日やっと私の番が来たと連絡が入ったのだ。既に予約時点で私の前には16件の先約があったのだが、私がこれだけ待たされたということは、おそらく多くの人がシビレを切らしそうになりながらも、キャンセルもせずに自分の番を待ち続けていたのだろうと、いささか感動でもあった(ブログ内関連記事   )。因みに本日の予約状況を調べると22件、今だ人気が高い。
 著者の結城昌子氏は 『はじめに』 の中でこう述べている。
『巨匠たちの手もとに迫りたい。その願いの一端をかなえるため、本書はつくられた。・・・・・・もちろん、従来の画集での体験を否定するわけではない。・・・・・・けれど、いい作品を見る楽しみは一つではない。傑作はさまざまな鑑賞スタイルを許容しているからこそ、傑作なのだ。・・・・・・原寸で見る楽しみは、純粋に「目」の喜びである。』 
 とは言え、こうして私がいくら巨匠たちの作品を原寸で見る機会を与えられたにしても、それは高々単純に原寸で見ることの驚きと感動なのであって、それだけですぐさま私が彼等の手もとに迫れる訳ではない。
 確かに、この画集は各作品毎にその実寸がイメージ出来るようにと身長170cmに設定した人影を作品全景のサムネイルの側に配するなどの工夫があり、導入部分から私たちを 『純粋に「目」の喜び』 へと誘ってくれるのだが、しかしやはり数多の経験と見識に裏打ちされた結城氏の分かり易い解説があってこその画集と言える。実際、この画集を借りて来て一気に目を通したのだが、画集であるのに見たというよりも読んだという印象の方が強かったのも事実だ。
 図版が実物ではない以上、完璧な画集などはあり得ない。しかし絵画の楽しみ方の幅と奥深さの一端を知る画集としては先ずお勧めの一冊ではないかと思う。収録されているのは前期ルネサンスのボッティチェリから現代に至る30人とその作品で、おおよそ時代を追って紹介されており、西洋美術史の極あらましも辿ることが出来る。
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by kpage | 2006-01-08 23:55 | ■書籍・雑誌
2006年 01月 07日
借景
a0006954_10284041.jpg 「Echelle du ange 」(参照)は大分市田ノ浦ビーチにあるレストラン、カフェ、パーティー・セレモニーホールなどの複合施設で、どの施設からも別府湾が望める作りになっている。水族館「うみたまご」(ブログ内記事参照)にもほど近い。帰省最終日、家族揃って海を眺めながらの昼食をここで楽しんだ。
 写真は参考にと見学させてもらったセレモニーホールである。司祭者の背後のガラス越し、白い大理石のきざはしの向こう、輝く大空と海原とを大胆に借景するのだが、降り注ぐ光はその場を厳粛に見守る大きな存在を暗示するかのようだった。
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by kpage | 2006-01-07 11:55 | ■身近の話題
2006年 01月 01日
謹賀新年
今年もよろしくお願いします。
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by kpage | 2006-01-01 00:40 | ■お知らせ


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