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2005年 08月 31日
伝統の意匠 「団扇(うちわ)」
a0006954_2150762.jpg 昔は本当に夏の必需品だった。だが団扇と漢字で書いても最近は宣伝用のプラスチック製ばかりでイメージが合わない。我が家にも団扇は何枚かあるのだがいずれもそれだ。
 寿司桶を扇ぐのもこれではきっと味も違うのではと思えてならない。竹製の芯の絶妙なしなり具合というのは張り合わせる和紙との相性も良いからだろう、プラスチック製では再現不可能である。よって風量はもちろん、風の云わば品質も違うような気がする。しかし既に竹と和紙とで作る技術自体極めて貴重であるらしい。
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by kpage | 2005-08-31 21:50 | ■伝統の意匠 | Comments(0)
2005年 08月 31日
昼下がり
a0006954_17291254.jpg ベランダから突然へんな羽音がするので目をやると、蜂が一匹ひっくり返って文字通り虫の息をしている。ようく近づいて見てみると、蜂に離れて4~5cmのところに小さな蜘蛛がじっとしている。蜂は、私が羽音に気付く前からここでバタバタやっていたのかどうか、いきなり我が家のベランダの隅へ落ちて来るなり、この小さな蜘蛛に睨まれるわけはないだろう。多分私があいにく気付かなかったのか、蜂と蜘蛛とが既にくんずほぐれつ格闘の末にこのベランダの溝へ一緒に飛ばされて(飛んで)来たのか。ともかく蜘蛛は微妙な間合いを測りつつ獲物の息絶えるのを待っているのだ。
 さて30分ほどして蜂の動きが随分鈍くなってきたその瞬間、蜘蛛が蜂の腹へ猛然と一撃のアタックをしたかと思うと、サッとまた例の間合いを取るのだが、徐々にその間合いは狭められ終には蜘蛛は蜂をくわえてどこかへ持ち去ろうとする。だが如何せん、蜘蛛にとってその蜂は大きすぎたようである。その後2時間あまり、蜘蛛はしっかり蜂をくわえ込んだままであったが、あまりの蒸し暑さに私がエアコンのスイッチを入れたため、ふと見ると突然の排水の洪水に押し流される獲物を悔しそうに見送る蜘蛛がいた。そんな8月最後の昼下がり。
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by kpage | 2005-08-31 17:30 | ■ほかのこと | Comments(0)
2005年 08月 17日
お知らせ
投稿しばらく休止します。
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by kpage | 2005-08-17 19:28 | ■お知らせ | Comments(0)
2005年 08月 14日
名残
 出来うる限りの名残を惜しむことで、更に切羽詰った極限の心理状態に自らを追い込むことが田沼流の姿なのだろうか。志津が路地へ消えた後も、田沼はそこら一帯にまだその名残を感じ、求める。その消えた路地をそうやって見つめていると、やがて自分自身がその路地と化していくのを感じる。そして、路地と化した自身のどこかに志津の在りかを感じ取ると、やっと安心したかのように全てを思い出として意識の奥へしまい込み、己を納得させるのである。そんな思い出の残像が田沼の心の奥底には使命の数ほどあったのかもしれない。
 そして今、また使命に真っ向から向き合っている田沼の姿があった。
(第116話の感想)
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by kpage | 2005-08-14 22:09 | ■花はさくら木の感想 | Comments(0)
2005年 08月 13日
不思議な因縁
 饗庭局の父、田屋明政は近江高島の土豪田屋氏の出だ。饗庭は現在は滋賀県高島市の一部となっている。志津の嫁ぎ先が田屋氏に所縁の家系であるのかは不明だが、この地方には一帯を治めていた浅井氏の影が色濃い。
 淀君は浅井長政とお市の方との間の子であるが、その下に小督という、後年二代将軍秀忠に嫁ぎ、お江と呼ばれる妹がいた。そしてお江は三代将軍家光の母でもある。しかも饗庭局の姉海津局は大坂夏の陣では秀頼に嫁いだ将軍秀忠の娘千姫に従って大坂城を出て、お江に仕えるのである。将軍の血統は八代吉宗の時代から替わったとはいえ、荒っぽい言い方だが、反徳川の象徴としての菊姫を遡ろうと、徳川を遡ろうと、いずれも浅井長政とお市の方へ行き着く。そして、田屋明政の娘二人(母は父明政の養父浅井亮政の娘という関係である)にしても、姉は前述の通り徳川へ仕えることとなり、妹は淀君と共に大坂城内で自害する運命を辿る。いずれも不思議な因縁である。
 さて田沼は 『名残は惜しめるかぎりをつくして・・』 と志津を大津までも同行して送り、そして浜大津の家並みの路地に消え入るまで志津を見送るのだった。政治的職務でのあくまで理性的な行動とは対照的に、わが身を情の赴くままに投げ出してしまう田沼がそこにはいた。そうやって危うく心のバランスを保つのが田沼流だったのかもしれない。
(第115話の感想)
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by kpage | 2005-08-13 12:24 | ■花はさくら木の感想 | Comments(0)
2005年 08月 12日
饗庭
 田沼が島原の近くに囲う女の素性が明らかになる。名を志津と云う。この女の再婚先が琵琶湖の北西岸にある饗庭というところにある醤油屋だという。
 少し調べてみた。かつて、淀君の乳母であり、大阪夏の陣では淀君と運命を共にした女官に饗庭局(あえばのつぼね)という者がいた。饗庭局は交渉能力に長けたところがあり、例えば方広寺鐘銘事件では、和議の為家康の下へ使者として赴くなど、淀君の信頼が厚かった人物だ。
 さらに饗庭局の父は田屋明政と云い、浅井家へ浅井亮政の養子として迎えられている。しかし、実子久政(浅井長政の父)が誕生するや元の家に戻され、亮政の没後、久政と対立し結局これに敗れるのであるが、饗庭局はその次女である。因みに長女も海津局と云い、やはり淀君の乳母として仕えていた。
 饗庭というのは実にそのような因縁を持つ地名だ。志津の登場は何かの伏線なのかどうか、気になるところだ。
(第114話の感想)
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by kpage | 2005-08-12 16:22 | ■花はさくら木の感想 | Comments(0)
2005年 08月 11日
呼び合う二頭の鹿
 青井と菊姫は二人だけの別業で、交互にひびきあう鹿の鳴き声を聞いていた。あたかも二人は、別業を挟んで向き合う二つの斜面で互いに呼び合う二頭の鹿のようであった。その二つに対し作用する斜面上の重力は、二つのほんの少しの油断も見逃さず、攻める躊躇も守る力も、なし崩しにじりじりと重心に向かって二つを引き寄せるのだった。
 菊姫が 『うちを対馬につれてっておくれやす』 と言う。 『うん、帰ろう、対馬へ』 と青井が素直に答える。菊姫本人すら記憶に留めてはいない対馬が、今の二人にはなぜかとても懐かしく感じられる共通の帰るところとなったのだ。行けば何かが分かる。北風の秘密も。
(第113話の感想)
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by kpage | 2005-08-11 10:20 | ■花はさくら木の感想 | Comments(0)
2005年 08月 10日
忍ぶ恋
 かつて、智子は 『やっぱり恋は、忍ぶ恋にかぎるわ』 と言い、菊姫は 『忍ぶ恋より、忍んでゆく恋のほうがええわ』 と言った。智子の忍ぶ相手はあの宝暦事件で処分を受け、今は行方もしれない。自ずと忍ぶ恋である。一方、菊姫にしても光源氏のように忍んで通ってくれる相手を夢見ていたのであって、やはり忍ぶ恋であった。
 そして今ここに新たな忍ぶ恋がある。思慕を献身に変え、青井にそして菊姫に尽すお房である。ほかにと思いを巡らせば、智子を慕う禁裏警護の清家悟、菊姫に武術を教えその菊姫にならついていけると言った立花なども、いわば思慕を献身に変えている。ほんの一時足らずで交わされた田沼と青綺門院との信頼関係も、忍ぶ恋ゆえと云うのは強引だろうか。そして忍ぶ恋であるがゆえの純粋で懸命な側面は人に何かしら力を与えるのである。
(第112話の感想)
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by kpage | 2005-08-10 16:45 | ■花はさくら木の感想 | Comments(0)
2005年 08月 09日
文化の違い
 不夜庵の持ってきた「清明上河図」の話題に田沼は意外に乗ってきた。そして 『「清明上河図」によって、日本の画が変る。詩も変る。・・』 という蕪村の言葉にいたって感心した風を見せ、江戸の画家はだめだと言い捨てる。
 確かに、京、大阪は文化的にも長い歴史に育まれた背景がある。様々な伝統の技は互いに切磋琢磨し更に磨きがかかり、意識の高さと進取の性を併せ持つまでになった。
 一方、江戸は新しい町である。幕府のお膝元とは言え町人の町である。文化という面でも一般庶民の生活に根ざしたところ、大衆的なところに自ずと重きが置かれる。歴史の分、浅いが華やか、そして大衆という量の力が支える文化だといえる。それがだめであるかどうかは個人の好き嫌い、価値観の違いだが、不夜庵や蕪村らが活動拠点を構える京の文化になんとなく引かれる田沼だった。
(第111話の感想)
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by kpage | 2005-08-09 14:40 | ■花はさくら木の感想 | Comments(0)
2005年 08月 08日
原爆特番に思う
 一昨日は広島に原爆が投下されてちょうど60年、明日9日は長崎へ投下された日だ。政局は郵政法案の可決か、否決か(どういうもので、何が論争の焦点なのか、実はよく分かっていないが)で混迷を極めている最中、NHKの原爆投下60年についての特番もいささかかすみがちだ。ただ60年という節目だからだろうか、記憶としての被爆体験者の年齢の下限が70歳近くになり、どんどん進んでいく記憶の喪失と風化を目前に焦るものがあるからか、もしかすればこれまで私自身あまり番組にまともに向かい合って見てなかったからなのか、しかしいつものお決まりのパターンでなく斬新な制作がされているように思う。

 被爆の悲惨さ → 核廃絶、戦争反対、ということに止まらず、しかし、その視点は基本にきちんと据えた上で種々の考察がなされている。原爆開発の経緯に始まり、原爆投下のほかに終戦に導く為の手段はなかったのか、それではなぜ原爆投下が決断されたのか、その理由は何でどう正当化されるものなのか、など意外に突っ込んだ内容である。
 印象的だったのは、原爆投下機エノラ・ゲイの機長(名前は忘れたが)の言葉(これも正確には覚えてないが)で「私は、また同様の命令が下れば、また同じ様に任務を遂行するだろう。」というものだ。これは、別に原爆投下に限るものではなく、戦争一般に通じるもので多くの軍関係者たちの代弁だといえるが、自分が戦場でしたことは任務の遂行であり人殺しではないのだ、という詭弁でもある。そしてもう一つ印象的だったのは、一概に個人を非難することは出来ないものの、番組が人間が国家の小さな歯車(ネジという表現もあった)として右ならえで付き従っていくことへの警鐘を鳴らしていたことだ。

 その警鐘という意味で9・11テロ以降米国の保守化の波はすごく歪で異常だ。今や米国民は平和を口にすることが愛国心に反すると目される。平和を希求し訴える催しものなどは開催しても閑散としているという。参加する、顔を出すことに周りの目が気になり、ためらいを感じるというのだ。
 しかし、よくよく考えてみると日本が戦後60年間、平和、平和と言っていた間、米国はずっと戦時中であり、今もなお戦時の真只中にある。だからそういう状況は戦時中の日本を振り返ってみれば容易に想像はできる。でも逆に言えば、軍事国家の極みのようになってしまった米国において、この程度で済んでいるのはさすが米国民という感じがしないわけでもない。周りの目が気になるうちはまだいい。ただその感覚も後ろ向きに気にならなくなって来た時が怖い。
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by kpage | 2005-08-08 10:16 | ■思ったこと | Comments(0)


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