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2005年 06月 30日
愛しき文字
 菊姫は広大な敷地の北風館の中でも一番奥の離れ座敷にいた。館の入口からそこにたどり着くまで様々な場所を抜け、様々なものを目にする。現代では、一部に残る昔ながらの町屋以外では一般の家屋ではあまりお目にかからないものだ。
 それでも、小説紙面にちりばめられた言葉の一つ一つを追いながら空想を巡らすと、宝暦11年当時の北風館の離れ座敷までを、疾風のごとくタイムマシンで駆け抜けていく感覚におちいる。
 犬矢来、格子戸、土間、高窓、通り庭、中坪、坪庭、渡り廊下、離れ座敷。そして、丸行灯、付書院、見台へと目を転ずれば静かに正座する菊姫に巡りあう。空想のタイムスリップとは云え、その情景は打ち水を打ったような爽やかな涼感すら感じるから不思議だ。
 今、見台の上には「詩經毛傳補義」という書物がある。これは京の儒学者岡白駒 (おかはっく、菊姫の当時はまだ存命中だと思われる) によるもので、詩經 (儒教の基本の経典、五経のうちの一つ、いくつかの編成を経るが現行版は毛亨・毛萇が伝え、毛詩とも云われる) の解説本のようなものではないかと思う。古義堂で学ぶ青井三保も手にしていたかもしれない。
 しかし、菊姫のじっと睨んでいるのは、そこに挟まれた青井から今朝届いたばかりの文(ふみ)であった。しきりに、かどわかしの件にふれ、詫びるばかりで、青井の云わんとするところが一向に分からぬ文であったが、当初の恋文とはそういうものだ。ましてや、青井にとってこの恋は非情にも使命と裏腹の恋。筆先も迷って然りだ。
 菊姫はそれでも十分であった。慕う人の書いた文字が目の前にある。一つ一つの文字が愛しくて堪らなかった。菊姫の青井への思慕が高まるにつれ、尚も寡黙になる菊姫であった。
(第73話の感想)
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by kpage | 2005-06-30 11:22 | ■花はさくら木の感想
2005年 06月 29日
かたっこな娘
 立花は、北風に続けて報告した。内親王の拉致のあと、青井たちにこれという目立った動きのない事。菊姫を助け上げた青井については、熱心に伊藤仁斎 (論語や孟子を研究し、京都堀川に古義堂という塾を開き、独自の古義学なる学問を作り出した) の古義堂に通っている事。そしてまた新手が来た事。その中にちょっと品のいい中年の武家のいた事、など。
 ただ、北風は『品のいい武家?』と少し気にする風はあったが、朝鮮国と内親王とのかかわりなど、判然とせぬ事態に業を煮やし、対馬藩邸へのりこみ、藩主、宗義蕃に会って直接確かめるべく、本館に戻り立花と共に羽織袴に着替えた。
 ところで・・と、内儀(おかみ)に菊姫のことを聞くと、なにやら自分の部屋に閉じこもり難しい本ばかり読んでいるらしい。
 『ほんまにかたっこな娘(こ)や。あれ以来、わしとひとことも口をきこうとせん』 と、少し菊姫が自分から遠のいていくような寂しさを感じるのか、北風は苦笑いを浮かべ、呟いた。
 自室にこもり、難しい本を読んでいるという菊姫に何が起こったというのか、それに符合するものは一体・・。
(第72話の感想)
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by kpage | 2005-06-29 10:46 | ■花はさくら木の感想
2005年 06月 28日
幕府が大商人になるというのだな・・
 既に当時の経済は庶民から大名に至るまで全くの貨幣経済である。にも関わらず幕府をはじめ諸大名の収入の柱は今だ領地からの年貢米であった。この年貢米を大坂で売って代金を為替で江戸へ送金するということで金銭への変換をしていたわけであるが、この小説では鴻池は分家、別家あわせて27家でこの為替のほとんどを独占的に請け負って巨額の富を手にしていたとある。
 ただ幕府、諸大名にとっては、問題は手数料を鴻池27家に掠め取られるのみでなく、米という特性から秋の収穫の一時期に売りが集中してしまう(先物取引などもあったと思われるが)ことによる価格の下落など手の届かぬ歯がゆい部分もあったのである。逆に言えば商人は安くなった時に米を買い、高くなった時に売り利ざやを得る、というような自在な動きもしていたわけである。
加えて、当時江戸の通貨が金本位であるのに対して、大坂は銀本位であった。また大坂、江戸間の送金は為替システムが確立されており、当然送金は為替で行う。よって大坂から現物の銀が移動するわけではないが、もう一度、江戸で大坂からの銀本位の価値を江戸の金本位に相当する価値へ交換せねばならない。そこでまた、手数料等が発生するし、秋の収穫の米が一時期に集中するのなら、銀の為替も同じ時期に江戸で集中する。勢い金に対する銀の値打ちは下がる。幕府にすれば踏んだり蹴ったりなのである。そこで、為替での送金を停止させ、銀現物で送金させようという動きは実際にあったことではある。銀の現物ならば江戸でもそのまま通用するからだ。
 それよりなにより、それまで年貢米を売ってくれと注文を出すだけだったものが、鴻池のように巨大な資金の運用をし、北風のように国内外を問わず貿易すれば、より大もうけが出来る。第47話の最後に家治が田沼に念を押すように、『幕府が大商人になるというのだな」と言った理由もそこにあるのだ。
 そういう幕府の動きに北風は気付いていた。しかも、それを推進しようとしているのが、御側御用取次という芒洋として正体の定まらぬ職位の田沼意次であることまで。しかし、その動きは意外に身近なところで起ころうとしていた。(第71話の感想)
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by kpage | 2005-06-28 21:40 | ■花はさくら木の感想
2005年 06月 27日
しのび逢い
 サブタイトルが「しのび逢い」と変った。誰と誰との「しのび逢い」かは大方察しの付くところである(間違っていたらごめんなさい)。
北風壮次郎は北風閘門(こうもん)の石の塔のてっぺんにある丸窓から舟の出入りを目を輝かせて眺めていた。この閘門を自ら考え工夫して完成させた北風の喜びは、金儲けなどの比ではなかった。彼の思いは意外に高いところにあった。かつて、青綺門院も呟かれたことがある。「鴻池も北風も金目当ての我利我利亡者などではない。あのような大きな人物が今の幕府にいるだろうか」と。彼らが金目当ての我利我利亡者などではなかったからこそ、田沼にしても彼らは手強い相手であるのだ。
 突然、配下の立花がやってきて北風に告げる。青井に喉を一突きにされた同じ配下の国原の死体があがったと。北風は国原が飛脚装束をはがされていた事から北風は密書の内容がいずれの者かに漏れたことを察知するする。しかし、国原に成りすまし密書を届けたのは一体誰なのだと頭を巡らす今の北風には、想像も出来ないであろう「しのび逢い」が始まろうとしていた。それは恋と使命とが一体となった壮絶な「しのび逢い」であった。(第70話の感想)
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by kpage | 2005-06-27 12:00 | ■花はさくら木の感想
2005年 06月 27日
小さな変化と小さな達成感
 昼間出来なかったウォーキングから帰ると、嫁さんは普段からの疲れがたまってかソファで眠っていた。テレビは点けっぱなしで、ひょいと見ると、あるチーズ職人(日本人です)の話を放映していた。チーズ作りの話自体も感動的だったが、見始めの一瞬に、いい言葉があった。正確な表現と違うかも知れないが・・「毎日、毎日の同じようなことの繰り返しの中の、小さな変化と小さな達成感」・・そんな言葉だったか、感ずるものがあったのだ。
 これは自分の理想とするチーズ作りに於ける長年の格闘の過程を端的に表現している言葉だと思う。もちろん最終的な成果物はチーズであるが、また本当の喜びはその達成感でもある。
 私たちに目を転ずれば、対象は別にチーズでなくてもいい。物でなくても、形のないものでもかまわない。小さな変化に気付き、起こさせる、真剣さと真摯な姿勢があってこそ見合う達成感もある。しかも、それは「毎日、毎日の同じようなことの繰り返しの中」にこそあるということ、何事にも通じることだ。
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by kpage | 2005-06-27 01:06 | ■思ったこと
2005年 06月 26日
青井のためらい
 北風という組織を理解するには、先ず菊姫という不思議な存在を中心に据えて考えてみよう。これが今回の企ての出発点だった。青井と菊姫の恋がその企てのど真ん中に飲み込まれてしまったのは、偶然の仕業であるが、田沼はそれをむしろ好機と見た。
 かつて、間違って誘拐してしまった智子が年頃の娘らしい勘違いとはいえ、青井に 『・・好きな人と逢いたさに、大胆不敵な誘拐劇をしくむなんて』、と言った。青井にしろ、『当たらずとも遠からずかもしれない』、とまんざらの風ではなかった。しかし、それが与えられた使命と一体化してしまおうとは、その時はよもや思いもしなかったのだ。
 田沼は、『そちの使命と恋は一体のものだ。純粋な恋などない』と、恋と使命の間でためらう青井をたしなめた。しかし、青井にはその恋が本物の純粋なものとなりかけていたが故に、使命と同一に考える事がはばかられてならなかったのだ。おそれながらと、『恋は思案の外です』、彼は田沼に訴えた。無理もない。いくら田沼が見込んだ青井とてまだ若い。恋心のコントロールは意のままにはならないのだ。
 そう言って下がろうとする青井に、田沼は前の将軍家重の病態のよくないことを伝えた。田沼の弁によれば、青井の父は、高い精神性を持ちながらも言葉の不明瞭な家重の言葉を完璧に理解したということである。史実として調べると、大岡忠光という人物のみが家重の言葉を完璧に理解できたため家重は忠光を重用し、側用人制度が復活することとなったらしい。無論、田沼の才能をも見抜き、長男の家治に田沼を重用するように言ったのは家重であった。家治は父の言葉に従った。この小説の設定に於いて、青井の父が史実の大岡忠光にあたるような人物となれば、青井と田沼の関係も非常に面白いものとなる。
 突然、田沼は斉藤を呼びつけた。少々沈滞しかかったムードを一気にからりと晴らしたいということか、『今宵は、角屋にくりこもう。不夜庵どのもお誘いしろ。とびきりの太夫を呼んでもらおう』。ことは急ぐのだ。皆の士気を上げるべく田沼は斉藤にそう命じた。(第69話の感想)
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by kpage | 2005-06-26 16:11 | ■花はさくら木の感想
2005年 06月 25日
伝統の意匠 「雨」と「傘」
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 入梅してからこの晴天続き。渇水のニュースも早や耳にするようになった。やはり梅雨は、時折スカッと晴れ間を見せながらも、バランスよくシトシト、ジメジメと降って欲しいし、それが梅雨の風情というものだ。
 ところで旧暦では梅雨の頃が5月だったので、五月雨(さみだれ)は梅雨のことである。また前述のスカッとした晴れ間を本来、五月晴れという。梅雨という表現は、それは梅の実が熟す頃だからであるとか、諸説あるようである。
 雨が文様としてパターン化されたのは江戸時代に入ってかららしい。直線の単純なパターンのため他の文様、意匠と組み合わせて用いられることが多い。今回は雨といえば傘ということでやってみた。
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by kpage | 2005-06-25 15:39 | ■伝統の意匠
2005年 06月 25日
迂回
 田沼には青綺門院を・・、もう少し心を寛くして眺めれば、青綺門院、智子親子を慕う気持ちが芽生えていた。だからこそ帰路の駕籠の中でかの冷静沈着な田沼の心も乱れるのである。
 わが国最高の権威と伝統の格式を維持することは、今、天皇家に幕府が与えているわずかばかりの知行でまともに賄えるはずはなかった。だからこそ、鴻池にしろ、北風にしろ、それなりの思惑があるにせよ、それをしっかり、代って賄ってきた。
天皇家の知行の話に触れた折、青綺門院の見ていて悲しくなるほどの恥じらいを、田沼は帰りの駕籠の中で思い返し、返す返す心からその時の自分を恥じ入った。もともと、天皇家が自身で賄える知行を与えていない幕府を棚に上げ、北風との関係を責め、その解消を迫る。使命とはいえ非常に身勝手な話でもあったのだ。
 それを悲しい思いも断ち切り、自分を信頼してくれた青綺門院に対しては、出来る限りの報いをしてやらねばならぬ、との思いは田沼にしてみれば無理からぬものであった。
 駕籠をそのまま南下させれば良いものを、田沼は何故か一気に宿舎に帰り着きたくなかった。南下する駕籠を東へ折れ、今で言う三条大橋辺りから鴨川右岸の土手を南下するコースを辿った。
 心地よい川面をわたる風が自ずと田沼を夢想に掻き立てる。無論そのような状況を彼自身が望んでの迂回でもあった。出来るものなら、俺が仙洞御所を賄ってやりたい。田沼は心底そう思った。源氏物語など読まなくて尚更結構と、青井を京へ送るに際し、彼にそう言い放った田沼自身が今、その妖しくも甘美な世界に捕らわれようとしていた。(第68話の感想)
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by kpage | 2005-06-25 14:18 | ■花はさくら木の感想
2005年 06月 24日
オシロイバナ
a0006954_20151252.jpg ぼんやりとした空ながら、夏至をほんの少し過ぎたばかりの日中は、少し日差しが強まると湿気も手伝ってやはり堪らない。蔭を伝い歩きしながらの今日のウォーキングは書店休憩も少し長め。側溝にネコジャラシを、草むらに咲きかけのオシロイバナを見つけた。小さい頃のある夏の夕刻、蚊に刺されながら、姉や妹と一緒に家の外壁に沿って咲くオシロイバナを摘んだことをふと思い出した。一瞬、ひんやり気持ちのいい風が通り過ぎたような気がした。
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by kpage | 2005-06-24 19:17 | ■身近の話題
2005年 06月 24日
凍りつく禁裏小番
憤然とする三人に禁裏小番が追い討ちをかける。『近畿に半島をぶら下げとくのはうっとうしい』だの『紀州は、団扇のの裏側。紀州は貧しい。扇いでも扇いでも風が来ない』とか『紀州の男が来たら、道の反対側によって・・・・・目を合わさずに通りすぎよ』など云われているのを知っているかと・・。紀州に対してそう言い捨ててしまいたい理由がまたその裏にあるということだろう。
 しかし、禁裏小番が云うように紀州の立地は『近畿に半島をぶら下げとくのはうっとうしい』かどうかは別として、地勢上、現在に於いてすら、京阪神から見た紀州(和歌山県)の行き止まり感は否めない。県内においても、大きな山塊にも阻まれて道路、鉄道など基本的なインフラも充分な構築が出来ていないのが現状ではないだろうか。
 さて、武家伝奏に見送られ、町駕籠で去って行く田沼を慌てて追う御庭番の3名を、見送りながら、禁裏小番の一人がふと呟く。智子内親王が拉致された時、北風の屈強の警護の者と随伴した同じく禁裏小番の清家悟らがやられたのも、確か、町人姿の3人組・・と。そして、あの町駕籠で去って行った田沼のキリッと鋭い印象が重なって、一瞬彼らの表情は凍りつくのだった。(第67話の感想)
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by kpage | 2005-06-24 11:44 | ■花はさくら木の感想