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カテゴリ:■思ったこと( 22 )
2006年 04月 16日
鎮魂の連鶴
a0006954_14301622.jpg 昨日の夕刊に昨年4月に起きたJR宝塚線脱線事故で娘さんを亡くされた方が鎮魂にと107名の犠牲者と同じ数の107羽の連鶴を完成させたという記事があった。107名の中に含まれる運転手も遺族を思うと同じ犠牲者、との気持ちに健気にもこの連鶴を折られた方はこだわっておられる。
 日本人が死者を祀るのは正に鎮魂(祟り封じなどというものも含めて)であって、この方のような気持ちも併せて考えると、死んだものは同じという感覚は日本人の一般的な社会通念だと思う。ただ、それはあくまで社会通念、総論であって、各論ではそう簡単にには行かない。
 この連鶴とは全く事情は異なり、政治的にも複雑になってしまっているのだが、靖国問題の根本も国家や民族の間に横たわるこのような文化の違いであることは言うまでもない。と言って、お互い自国の文化を隣国に押し付けるのはおかしいし、日本人といっても各論はバラバラであって、尚のこともっと他国の人たちの気持ちは推し量るべきである。その難しいバランスを取るのが政治というものだが、なぜそんなことを言われなければならないのか分からない、程度の反論で無視を通そうとする小泉流では双方からいくらも歩みよりは得られない。
 試しに連鶴を2羽だけだが、そこらにあったチラシで折ってみた(写真)。3羽だと真ん中のを折るのは両端引きずって大変だろうなとか、折ってもいないうちからお手上げだ。107羽なんて実際どうやってるのだろうかと思う。
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by kpage | 2006-04-16 10:24 | ■思ったこと
2006年 03月 03日
輝く
 NHK朝連ドラマ「風のハルカ」のハルカの父陽介が主役の娘ハルカを凌ぐ勢いでこのところ輝いている。もっとも既に何話か前に倉田旅館の主人宗吉に 「ハルカが帰っち来ちから陽介さん、あんた輝いちょるねえ。」 などと言われていたのだが、妻の反対を押し切ってまで脱サラして叶えようとしたレストラン、一旦は挫折していたそのレストランの夢が、陽介自身による自然農法から生まれた野菜の料理店と言う形で、今現実味を帯び始めているのだ。
 何をもって輝きとするのかは人それぞれだが、消えたりしぼんだりの紆余曲折であろうとも最期は輝きのピークで迎えたいものだ・・、そんなことを考えていたらエジソンの電球のことがピカリと頭に浮かんだ。従来の白金のフィラメントを使用した高価な電球ではなく、誰もが気軽に利用出来るようにと、より安価な炭素繊維のフィラメントを求め、エジソンが最も満足のいくフィラメントの素材として6000種にも及ぶ植物繊維の中から選んだのが日本の京都の真竹である。みずみずしい真竹の繊維は焼けて焦がれて真っ黒な炭素繊維になってこそなお輝く。願わくは、同じように人生どれほど焼けて焦がれようともなおさら輝くものでありたいと思うのである。
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by kpage | 2006-03-03 13:30 | ■思ったこと
2006年 02月 03日
そろそろ幕引きだろうか
a0006954_1633353.jpg この度の松下電器産業の06年3月期の利益見通しの大幅な上方修正は、新聞にも書いてあるように温風器事故という危機がかえってバネとなった結果といえる。儲ける商売ではなく、儲かる商売をせよ、とはよく言われることであるが、そういう見方をするならば、この上方修正は今回の危機が従業員の意識を目先の利益から一旦逸らせた結果だと言えなくもない。
 松下電器のホームページを見ると、従業員数が全連結対象企業で334,752名、松下電器産業単体でも47,867名というすごい数が載っている。これだけの人数の意識が変わり、パワーが集結するとすれば決してありえないことではない。営業利益の21.2%増、当期利益の18.2%増を支える売上の方は、もちろんデジタル家電の好調や大変な販売努力もあってだが実はやっと1.4%増に過ぎない。これらが今回の事故処理費用も含めての数字だとすれば、実際の業績はもっと良かった訳である。効率ということで言えばそれは従業員一人一人の草の根の並み並ならぬ苦労のなくては成り立たなかったことと言ってよいだろう。
 今日、「配達地域指定冊子小包」というものが届いた。各世帯宛てに届けられる郵便物だが宛名はない。表に「松下電器より心からのお願いです」とある。同様のものが日本中の全世帯へ配達されると聞く。おそらく最終的に費用が240億円程度見込こまれるという温風器事故処理も、この告知を以ってやっと幕引きかもしれない。
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by kpage | 2006-02-03 16:33 | ■思ったこと
2005年 12月 22日
雪の日
 私がまだ小学校に上がるか上がらないかの頃だったと思う。クリスマスも近いある日の午後のことである。父が突然白い絵具と筆を持ってやって来た。九州大分でクリスマスの頃に雪が降ることなどほとんどないのだが、ならばと父は茶目っ気も半分、ささやかな演出をと思ったのだろう。食事や団欒にと我が家で最も家族が集う一間の白壁の少し高いところに、45cm四方くらいの小さな明り取りのガラス窓があったのだが、父はその窓ガラスに隣家の屋根越しに外側から筆で白い丸をいくつも描いた。その時私には、それが単に青い空に灰色の丸がいくつも並んでいるとしか見えなかったのだが、父は 「夜になったら本当の雪になるよ」 と言い、私はそういうものかと夜が来るのを楽しみに待った。
 日も暮れ、辺りが暗くなった頃、私はそのガラス窓を見上げた。そこには父の描いた丸い雪が四角に切り取られた夜空の中に輝くように白く浮かび上がっていた。それはまるで父の言葉通りの本当の雪のようだった。この時節になると、時折あの雪の日を思い出す。
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by kpage | 2005-12-22 23:05 | ■思ったこと
2005年 12月 11日
防犯ブザーの音
 私たちの身の回りに溢れる音は、それは心安らぐ音楽であったり、何かを知らせてくれるものであったり、その目的はいろいろだ。身近な例では、朝の目覚まし時計に始まって、電話、ケータイ、インターホンなどの呼び出し音や、洗濯機や食器洗い機、電子レンジ、冷蔵庫などの通知や警告音など数知れない。うちのマンションでは、うっかり許容電力を超えてキッチンのブレーカーを落としてしまうと、連動したガス警報機の電源も切れてしまい、けたたましい警告音と共にマンションの管理センターから「どうしたのか」と一報が入る。外に出ればやはり音の洪水である。しかし、落ち葉が木枯らしにカサカサッと舞う音ならば、聞こえたら聞こえたで季節だなあと、人それぞれに感じ入れば済むことだが、人工的な音となると、各々に意味を持って鳴っているので当り前のことだがそれなりに注意が必要だ。
 今日の朝刊のあるコラムに防犯ブザーのことが載っていた。 『・・・持って来た防犯ブザーを鳴らしてみた。ビーンビーンと人工的な音が響く。・・・・』 とあり、おやっと思った。このコラムでは音色のことには言及していなかったが、私の知っている(昔、聞いたことのある)音はピーという連続音だったし、どうやら防犯ブザーの音が商品によって異なるようなのだ。気になって少し調べてみると、パトカーのサイレンなど色々な音を聞かせて、それが何の音か当てさせるあるテストで、他の音の正答率が80%以上だったのに対して、防犯ブザーの正答率は25%だったという。怖いくらいお粗末な話だ。
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by kpage | 2005-12-11 16:16 | ■思ったこと
2005年 12月 04日
居心地
 昨晩夕食を済ませ一服していると、内線電話(同マンション住戸間)が鳴った。出ると、もしIP電話を使っているようだったら聞きたいが、今電話が繋がっているのか、おかしくないのか、ということだった。
 実は我が家も料金が安くなるということでプロバイダが運営するIP電話の契約をしている。昨日の午後は息子のライブに行っていたので気付かないでいたが、3時頃から不通の状態だと言う。早速確かめてみると受話器を上げるなりピー、ピーと鳴ってばかりだ。その人は携帯で何度も問い合わせをしようとしたらしいが、ずっと話中で通じないらしい。これはもしかして自分のところだけのトラブルではないかと不安になって電話をよこしたらしい。
 それで、「うちも同じ状況だし、これは多分マンション全体か、あるいは地域的なトラブルか、取あえず皆んな同じような状況みたいですね。それで問い合わせも集中して繋がらないんだと思いますよ。まあ、待つしかないんじゃないですか。」と答えると、「ああ、そうなんですか、うちだけじゃないんですね、だったら安心しました。よかった、よかった!」との返事が返ってきた。はて何がよかったのか。よかったと言っても別に少しも状況が改善したわけではないが、ともかく皆んなと一緒だと何となく安心出来てよかったということだろう。気持ちはよく分かる。逆に自分ひとりが上手く行っていてもなんとなく居心地が悪くて落ち着かないということもある。日本人だなあと思う。
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by kpage | 2005-12-04 15:09 | ■思ったこと
2005年 10月 30日
自民党新憲法草案
 自民党新憲法草案が決定した。改憲草案の目玉は解釈論争に終止符を打つべく謳われた 『 自衛軍の保持 』 であろう。が、それはそもそも100%軍隊と規定していないのだから、自ずとその任務についてはいずれ解釈論争が付きまとう。それれならば 『 戦力はこれを保持しない 』 と謳った現憲法下で自衛隊を保持している現状となんら変わりがないように思われる。というよりむしろ、もっと怖いレベルでの解釈論争がなされる危険を秘めていると言える。
 さて前文だが、先ずこの文章はどこか味気ない。現憲法の前文は絵に描いた餅的な感はあれ、理想に燃えるある種格調の高さがある。草案は草案、言いたいことのメモ書だと理解すればいいのかもしれないが、このままでは一国の憲法の巻頭を飾るにはやはりいささか味気ない。
 が、それはさておき、現憲法ではその冒頭に 『 日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・』 とあり、実際の国政は主権者たる国民の信託によるものであると明記されている。わざわざ書かなくとも民主主義の常識だろうと言いたいのだろうが、この改憲草案ではそういう記述がない。多分それは今回の衆院解散総選挙における自民党圧勝の末、小泉首相や自民党に芽生えた過信、つまり自分たちは国民の圧倒的な支持を取り付けたのだとする誤った思いの表れなのではないのかと私には思われてならないのだ。日本国民を言葉で国民と一絡げに出来ても、その実は個々に多様な考えや価値観を持っているものだという観点から言えば、この草案は国政に携わる代表者がその国民の 『 厳粛な信託 』 を受けているという現憲法には存在する重要な視点を欠いていると云えはしないだろうか。そのことは前文から国民の代表者としての自分たちの臭いを消し去り、国民の圧倒的多数が支持をしているのだからという理由から、主権と共に国政の責任の所在までもが国民に帰しているかのような印象を与えるのだ。国民とその代表者は、それぞれが責任を持ってお互いに選び、選ばれるものであるべきものである。全ての起点をただ国民の圧倒的支持に置けばいいという安易な衆愚政治へと向かってはいけない。
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by kpage | 2005-10-30 01:38 | ■思ったこと
2005年 09月 12日
いやいや、驚いた。
 自民党が単独で300議席をねらう勢いだ。自民優勢と言われてはいたがここまでの得票は一体何なのだろう。これでは国政の場で野党が野党として機能しないのではないか。形からいえばもう完全に自民の独裁といっていい。しかし、これがストレートに民意の反映であるのかは疑問だ。形の上で国民(有権者)の多くの信任を得た小泉さんは、これまで以上に国民の声に敏感になるであろうし(そうあって欲しい)、また多くの国民も信任した責任として小泉さんがとんでもない独善(参照)に陥らぬようしっかり見守る必要があるのは言うまでもない。
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by kpage | 2005-09-12 00:22 | ■思ったこと
2005年 09月 02日
総選挙を控え思うこと
 今回の総選挙に絡み、巷では仁義なき戦いやら刺客やら物騒な言葉が随分飛び交った。今はもう言葉としては沈静気味の感があるが、そうやって政治を面白おかしく揶揄するのも政治により多くの人にとりあえず感心を持ってもらうには一策かもしれない。ただ、昨日のテレビニュースによると刺客という言葉の方は使うのを自粛して欲しいと政府与党からのお達しがあったそうで、別に強制力はないものだろうが、礼儀正しい日本のマスコミ各社の自己規制は当然予想されるところである。
 もう一方の仁義なき戦いだが、これはご存知のように郵政法案反対派VS刺客という構図が、亀井静香VS堀江貴文という顔合わせで、しかも広島6区という選挙区であることから象徴的に表現されたことだ。そして、考えてみると古来より、義理人情を尊び、そしてこれに苦悩すること自体を何か美学のごとく昇華してきた我々日本人にとっては、意外に共感を呼ぶ上手い表現だったのかもしれない。逆に言うと、反対派にすれば、そこまで義理人情を欠いた手を打ってくるとは想像さえしなかった、まさに、ごく日本人的感覚に安閑としていたと云えなくもない。しかし、もちろん世の中そんな日本人ばかりではない。
 少し話は変わるが、幕末に生まれ、明治、大正にかけ、キリスト者として反骨の信仰を貫いた内村鑑三をご存知の方もいると思う。その個人誌「聖書之研究」に彼はこんなことを書いている。
 「人生の問題を解決するにあたって、第一に考うべきは正義である。第二が道理である。第三すなわち最後が人情である。この順に従って解決せんか、万事は容易に解決せらる。義(ただ)しきか、義(ただ)しからざるか、もし義(ただ)しくば、骨肉、社会、国家がことごとく反対するも、これに従う・・」
 内村鑑三の正義とはもちろんキリスト者としての信仰に裏打ちされた正義であり、今回の総選挙のすったもんだや以下述べる例と同列に語ることは不適当である。しかし、良きも悪しきも世の中を大きく動かすのは大方、義理人情ではなくいわゆる正義ではないだろうか。また正義は理念と言ってもいいかも知れない。郵政改革が行革の本丸だと言う小泉さんも小泉さんなりの正義、理念に基づいて反対派への義理人情を退けた。しかし、問題はこの正義や理念で、往々にして独善に陥るのが常である。他国にまで身勝手な正義、理念を押し付ける小泉さんの盟友ブッシュ大統領の例をあげるまでもないことだが、正義や理念という言葉は人の心を高揚させ、人に力を与える。しかし、それは一歩間違えるととんでもないことになる。 
 これは少々極端な例だが、西尾幹二氏が著書「国民の歴史」の中で、ホロコーストと戦争犯罪に関してこう述べている。 「ヒトラーの大量殺戮はある種の文明の破壊であって、戦争犯罪ではない。普通に考えられる戦争犯罪の、いわば終わったところから始まっている犯罪で・・・・・軍事目的とは全く別個の目的を追求した政治的意思の表現であった」 と。そして、これを 「戦場の興奮に基づかない、理念に基づく殺人行為、大量殺戮行為」 とし、ほかに毛沢東、スターリン、ポル・ポトらの例を挙げている。
 今の日本でそこまで心配する必要はさらさらないが、義理人情、刺客騒動で国政に今まで以上に目が向いたこの機会に、この国がこれからどこを向いて、どんな風に動いて行けばいいのか、自分なりに考えながら来る投票日を迎えたい。
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by kpage | 2005-09-02 14:45 | ■思ったこと
2005年 08月 08日
原爆特番に思う
 一昨日は広島に原爆が投下されてちょうど60年、明日9日は長崎へ投下された日だ。政局は郵政法案の可決か、否決か(どういうもので、何が論争の焦点なのか、実はよく分かっていないが)で混迷を極めている最中、NHKの原爆投下60年についての特番もいささかかすみがちだ。ただ60年という節目だからだろうか、記憶としての被爆体験者の年齢の下限が70歳近くになり、どんどん進んでいく記憶の喪失と風化を目前に焦るものがあるからか、もしかすればこれまで私自身あまり番組にまともに向かい合って見てなかったからなのか、しかしいつものお決まりのパターンでなく斬新な制作がされているように思う。

 被爆の悲惨さ → 核廃絶、戦争反対、ということに止まらず、しかし、その視点は基本にきちんと据えた上で種々の考察がなされている。原爆開発の経緯に始まり、原爆投下のほかに終戦に導く為の手段はなかったのか、それではなぜ原爆投下が決断されたのか、その理由は何でどう正当化されるものなのか、など意外に突っ込んだ内容である。
 印象的だったのは、原爆投下機エノラ・ゲイの機長(名前は忘れたが)の言葉(これも正確には覚えてないが)で「私は、また同様の命令が下れば、また同じ様に任務を遂行するだろう。」というものだ。これは、別に原爆投下に限るものではなく、戦争一般に通じるもので多くの軍関係者たちの代弁だといえるが、自分が戦場でしたことは任務の遂行であり人殺しではないのだ、という詭弁でもある。そしてもう一つ印象的だったのは、一概に個人を非難することは出来ないものの、番組が人間が国家の小さな歯車(ネジという表現もあった)として右ならえで付き従っていくことへの警鐘を鳴らしていたことだ。

 その警鐘という意味で9・11テロ以降米国の保守化の波はすごく歪で異常だ。今や米国民は平和を口にすることが愛国心に反すると目される。平和を希求し訴える催しものなどは開催しても閑散としているという。参加する、顔を出すことに周りの目が気になり、ためらいを感じるというのだ。
 しかし、よくよく考えてみると日本が戦後60年間、平和、平和と言っていた間、米国はずっと戦時中であり、今もなお戦時の真只中にある。だからそういう状況は戦時中の日本を振り返ってみれば容易に想像はできる。でも逆に言えば、軍事国家の極みのようになってしまった米国において、この程度で済んでいるのはさすが米国民という感じがしないわけでもない。周りの目が気になるうちはまだいい。ただその感覚も後ろ向きに気にならなくなって来た時が怖い。
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by kpage | 2005-08-08 10:16 | ■思ったこと


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