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カテゴリ:■書籍・雑誌( 17 )
2006年 04月 25日
目的がない
 「メタボラ」は今日で145話目。毎回ただの読み流しだが、一応朝食のパンをかじりながらの習慣になっている。雰囲気的にはもう話の3分の2は超えたのかなと思う。
 今の 『僕』 が記憶喪失の身であり、僅かに思い出したこと、つまり自分が集団自殺の生き残り (練炭の燻ぶる車内から一人逃亡し、しかもドアを閉めて立ち去った罪悪感にさいなまれている。) であることなどを隠し、若者たちがマスターを慕って集まるある安宿に長逗留しようとしたのだが、マスターはそれを敏感に感じ取って問いただす。そして嘘を言って済まないと謝る 『僕』 に言う。 『ここに来る若いヤツらはみんな嘘は吐かないよ。嘘吐けるほど、悪くないんだ。他人を陥れようなんて思ってもいないし、心 優しい。それは、目的がないからだよ』  そう言う彼自身そんな優しさを肯定してはいない。彼の目にはヤツらは放浪者だった 『前の俺と同じ』 と映っているのだ。
 人生とは一生自分探しの放浪の旅かもしれないが、ただ希望だけを頼りにいくら彷徨っても探し物は得られない。しかし希望に胸を膨らませるだけなら他人と抗うこともない。目的とは人の意志に由来する。世の中、意志のあるところいささかの軋轢はあるものだ。本当の優しさとはどんな状況下でも変わらぬ優しさを維持出来る意志を持つということだろうか。
 だから、この若いヤツらが、彼等が夢を夢見ているうちはいい。しかし明らかに夢が破れた時、彼等はどうやって心と現実の辻褄を合わせるのだろう。そこが少し怖いところだ。その一方で私には、要領よく効率ばかりの世の中に抗うわけでもなく背を向けるでもなく、明日を夢見ながら飄々と生きる彼等の方が、よほど自然な生き方をしているように思えてならないのだ。
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by kpage | 2006-04-25 22:56 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 04月 13日
エリック・ホッファー自伝
a0006954_1434821.jpg ホッファーは例えば自らが属した季節労働者の集まりを、社会的不適格者もしくは人間のゴミの集まりと自嘲しながらも、一昔前未開の西の荒野へ向かった開拓者の多くはそういったタイプ人間であったと言い、その情熱は根底を探れば自己の内面の不完全、確かざる自分というものに行き当たると言う。情熱はまるでそれを補完しようとする反作用であるかのようである。わが身をあえて不安定な状況に置くことがホッファーの思索活動のベースになっている。
 彼は「芸術家」の章でこう述べている。『慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠のよそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家であることの証なのである。』。私は芸術にしろ宗教にしろ本物に出遭う権利を持つのは真に渇望する魂のみであろうと思っているし、それは多くの場合、経済的な貧しさや困難を伴うものかもしれないと思っている。しかし意外にもホッファー自身は渇望の源泉を必ずしも貧困に置いていたわけではない。貨幣は弱者が絶対権力者に対抗して発明した道具であり、権力は分配不能だが、貨幣は自由と平等を出現させたと持論を展開し、『高邁な理想によってのみ人々が行動し奮闘する場所では、日常生活は貧しく困難なものになるだろう。』と私のような考え方には懐疑的である。そして貨幣の崩壊は文明の崩壊とまで言っている。それが普通の感覚というものなのかもしれないが、文明と言うもの自体どれほど悪の根源なのかと私には思えてならない。ただ、いわゆる学歴のないホッファーが望む望まないに関わらず身を置いたのが、前述したところの例えば季節労働者であったということである。独り者のホッファーに、かつかつの必要充分の収入を約束し、自由になる時間も確保する反面、自らの言う社会的不適格者に甘んじることの不安定さが、彼の学問への情熱を絶やさず燃やし続ける原動力となり、また独自の世界を拓く鍵であったことに間違いないだろう。
 さてこの自伝の原題は "Truth Imagined ERIC HOFFER" である。"Truth Imagined" は副題として『構想された真実』と訳されている。ホッファーはユダヤ人が世界最初の比類のない語り手であり、現在のあらゆる分野における先駆的な役割を演じていると高く評価した上で、『真実を構想して未知のものを思い描き、物語を語る能力は、未知のものを探る上で必要不可欠な能力』だと言う。おそらくホッファーは全くの無神論、無信仰の人間である。『山を動かす技があれば、山を動かす信仰はいらない』 だったか、そんなホッファーの言葉もどこかで見た。現実は、人間に山を動かす技術などありはしない、あるのは高々山を削り穴を掘る技術である。ホッファーにとっては宗教や信仰も科学の真理も一切同列に構想されたものとしての真実(真理)だったようである。それとも人間の考える真実などそもそもその程度のものとして、その先を見据えていたのだろうか。
 しかしホッファーのこの世の中と人間との営みを見抜く眼光は鋭い。そのエッセンスの凝縮された数々のアフォリズムはいかにも気が効いていて面白い。本著の中で気に入ったものがある。
『自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことに取り掛かるのはた易いが、それをやり遂げるには勇気がいる。』
 確かに希望は一体に何の根拠もない根無し草のようで、ふっと吹けば飛んで失せてしまいそうである。一方、勇気の発露するところは確実に存在する自分の意志なのである。
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by kpage | 2006-04-13 14:04 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 03月 23日
教師宮沢賢治
a0006954_14454630.jpg 宮沢賢治が花巻農学校で教鞭を振るったのは1921年から1926年にかけてのほんの僅かな期間である。この本は著者が1988年の初版当時すでに80歳を超えていた賢治の教え子の幾人かに直に聞き取りをして教師宮沢賢治の実像に迫ったものだ。著者は賢治の実践した教育を現代の学校教育の抱える問題を解決するための先行モデルとまで言っている。
 もっとも教師の仕事のやりにくさは賢治の時代の方がもっとひどかったのでは、という状況下で、 『今で言う○×式の授業に真っ向から反対し、イメージと、ゆとりと、個性を尊重する、弾けるように生き生きとした授業を実践した』 という、そのような雄雄しい賢治像は正直なかなか想像しづらい。彼が意外に淡々と(内実は別かもしれないが)それを実践できたのは、彼を招いた校長の人物に依るところが大きかったようである。教師自身ばかりではないこういう要素の重要さは教育の現場では今も昔も変わらないようである。
 賢治の実践した生き生きとした授業とは、頭ではなく体で覚えること、そうするとその身に付けた知識に感動するのだと言うことである。感動したものは易々とは忘れないからである。どうやれば知識に感動できる授業が出来るのか。実例の証言が数々載っているが、その秘密の鍵は技術的なことよりもおそらく賢治自身の全人的な部分に負うところが大きい。それに賢治が最終的に教え子達に教えたかったのは、実はその感動そのものの大切さだったと言ってもいい。意図してなのかどうか、詩人、童話作家としての賢治は教え子に度々自らの詩や童話を朗読して聴かせることもあったと言うが、きっとそれは教え子達の知識を生かすための人格を鍛え、感動するための感受性を育んだに違いない。
 ところで教え子らの証言の中にも賢治独特のものの見方や捉え方が垣間見える。
 『賢治先生は、いっぱい生徒がいる中で、一人としてないがしろにしませんでした。いつも、眼を鋭く見抜かれているような気がしていました。一人一人個別に向けてというのではないが、それに真正面からというのでもないが、誰もが、見抜かれているという感じを持たされたものでした』
 『誰か生徒と向き合うとき、それが勉強の場であっても、こうした人生の歩みの場であるときにも、常に賢治は、今目の前にいる生徒を、今目の前に見える姿ではなく、相手がかくあるはずだという理想の姿に置き換えて話していた』
 『どこで学んだのか、自分で編み出した技術なのか、ほとんどただめくるだけのようなスピードで指を動かしながら、頁の右上かの角から左下隅に向かって斜めに速読出来る技術を、賢治は持っていた』 ・・など、時間的にも空間的にも少し先を見ているような、いわば4次元的感覚である。この感性あってのあの童話群なのだろう。教師退職後に書かれた以下の「農民芸術概論綱要・序論」(青空文庫より)に、賢治のこの辺りの拠りどころとするものが端的に整理し著わされている。

  おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
  もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
  われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
  近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
  世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
  自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
  この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
  新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
  正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
  われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である 

 学校(農学校)では机上ではない実に地に足の着いた教育を実践し、農業(特に度々冷害に悩まされる東北地方の)、農民に寄せる賢治の思いは尋常ではなかった。しかし意外に地元の農民には、お坊ちゃんの賢治はあまり受け入れてもらえなかったらしい。ただそれも賢治の実像だろう。『預言者は、自分の郷里、親族、家族以外では敬われないことはない』 とは聖書にある言葉だ。
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by kpage | 2006-03-23 14:56 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 03月 17日
ナルニア国物語
a0006954_22341074.jpg キリストの福音などと言うものに予備知識があまりなくても、それなりに楽しめる本だろう。ストーリーの展開と場面の展開とが掛け合いワクワクドキドキさせる独特のリアリティーはコンピュータゲームのそれと同じで(というよりこの物話の方が先生だろう)、書籍の段階から既にすごく視覚的だ。今映画化され話題になっているのも今の子供たちや若い世代にもぴったり来る感性を持っているからに違いない。興行的にはハリーポッターの二匹目のドジョウかもしれない。もちろん若干でも聖書の知識を持って読むなり、観るなりすれば味わいは随分深いものになる。特に後半はいろいろ示唆に富む箇所が多い。
 シリーズとしては1950年出版の「ライオンと魔女」をはじめ7冊あるのだが、「ライオンと魔女」は息子が買ってきた。順番に読んでみようと翌年1951年出版の「カスピアン王子のつのぶえ」の文庫版を探すのだが近くの書店にはなくて(単行本はあるが値段が倍もする、でも確か挿絵はカラーでキレイだった)、今日ウォーキングの途中で寄った大きな書店でやっと見つけて買って帰った。1951年は私の生まれた年。随分昔の本だ。
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by kpage | 2006-03-17 22:36 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 02月 21日
俯瞰(ふかん)
 「メタボラ」が今日の83話から第3章に入り、主人公が「おいら」からまた元の「僕」に戻った。これは以前の記事でも触れたが、こういうことは小説だから容易に出来る。人がもしも現実に自分以外の意識を持ってものごとを俯瞰出来るとするならば、随分心の騒がしい面倒くさいことになるかもしれない。しかし、あまりに刹那的、自己中心的な現代人には少しは持って欲しい視点ではある。
 この小説の登場人物も多分にそういう性質を持っている。自分の損得勘定には至って敏感だし、一方的な愛にも相手の気持ちはお構いなしの自信たっぷりだし、とにかく自己中心的だ。だから読んでいてあまり気分が良くない。しかしそう嫌悪するのは、言ってみれば鏡の中の自分を見ているようなものであって、私の中にもそんな嫌な性質が少なからずある。小説でも読みながら嫌な自分を自分の中でじっくり俯瞰するのもたまにはあっていいだろう。
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by kpage | 2006-02-21 11:14 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 01月 31日
ふるさとの言葉
a0006954_923868.jpg 放送が始まってもう半年近いのだが、嫁さんに言われて昨日からNHKの朝連「風のハルカ」を録画している。パソコンは必要があってそれなりに使いこなしてはいるが、ビデオ(今時のDVDやHDDではないのだが)となると録画予約が今もって出来ない(覚えない)でいる。ケーブルTVのJCOM経由ということも面倒臭くしている一因だ。
 だから、録画はいつもリアルタイムだ。ところが、えてして直前になってふっと違うことに気を取られたり、電話がかかって来たりということになりがちで、今朝も直前まで息子とうっかり話込んでいて危ないところだった。
 「風のハルカ」は朝連では始めての大分(由布院)ロケだ。折もおり、母が由布院に療養中で、帰省の時に舞台となるあのレストランはどの辺りなのだろうと気になっていたものだ。
 私が「風のハルカ」で楽しみにしているのは故郷を遠く離れて聞く大分弁だ。大分弁は九州の中でも、「~よかよか」とか「~とね」などと言う、福岡から佐賀、熊本、長崎にかけてのいわゆる九州弁系ではない。マイナーな方言だ。鹿児島弁ほどのインパクトもない。それが全国区に出るのかと大分県人としてはもうとてもうれしかったのだが、「大分弁でしゃべるちゆうてん、テレビんドラマじゃけんのう、どげーじゃろか。」 と期待半分ではあった。それが始まると結構やれてる。「よしよし」と胸をなでおろし毎日楽しみにしている。 
 その大分弁の案外な奥深さをコミカルに且つアカデミック?に紹介しているのが「大分弁語録解説」だ。もう30年も昔の本だが、冒頭にこんな例文が載っている。英訳付だ。
   あんきんねきィあるきーねーなあ、なんな ?
   What's that yellow thing at the base of the tree ?
本当、大分弁ち、おもしりーにィ。
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by kpage | 2006-01-31 23:51 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 01月 27日
日本の唱歌
a0006954_18204297.jpg 「日本の唱歌」(飯塚書店1980年発行)には明治から昭和にかけての唱歌が187曲収録されている。唱歌とはそもそも戦前の音楽教科のことなのだが、戦後は文部省唱歌として引き継がれている。
 私たちの世代では小学校の頃は音楽の時間はもちろん、バス遠足の車内などでも極普通に歌っていた。あの頃は音楽のジャンルも量も今に比べればかなり限られていたから、それで充分楽しかったが、今はそうは行かない。小学生でもいろいろな音楽を様々に楽しめる環境にあるから、地味な唱歌はなかなか辛い立場だ。それでも唱歌ではないが「おじいさんの古時計」のように、当初は子供の歌として紹介された曲が何十年か経って、大人の歌唱、鑑賞にも耐えうる曲として蘇ったように、そんな試みはもっと必要かもしれない。
 選定に当たっては随分試行錯誤はあったのだと思う。曲作りに際しては、キリスト教会における賛美歌の与える影響も大きかったように聞く。もちろん賛美歌自体が当時の日本人の西洋音楽へ対する窓口の一つだったのだが。日本の唱歌には多分にその香りがする。が、とりあえずはシンプルで日本人にも馴染み易いものを西欧の曲から採用したことが伺える。
  「見わたせば(現タイトル、歌詞:むすんでひらいて)」 ルソー作曲
  「蛍の光」 スコットランド民謡
  「かすみか雲か」 ドイツ民謡
  「菊(現タイトル:庭の千草)」 アイルランド民謡
  「故郷の空」 スコットランド民謡
  「とうだいもり」 イギリス民謡
  「埴生の宿」 ビショップ作曲
と続いている。
 それでも、ただ西洋音楽一辺倒でもなく、中には鎌倉初期の天台座主で歌人の慈鎮和尚による「春のやよい」や、「さくら」など日本の古謡も採用されている。
 この187曲を時代を追って眺めていくと、明治の西洋文化に追いつけ追い越せの時代から戦後(太平洋戦争後)にかけての時代を駆け足で駆け上るような気になる。特に明治時代の唱歌の傾向として富国強兵策の影響が露骨だ。それでも、かわいいところでは「ももたろう」や「きんたろう」など昔話を題材にしたもの、「うさぎ」や「鳩」など小動物を題材にしたものが目に留まる。66番迄もある「鉄道唱歌」の後、しばらくして52番迄ある「電車唱歌」が現れるのはいかにも二匹目のドジョウだが、世の中の進歩でもある。
 そんな中でも私がとても驚いたのは「蛍の光」の歌詞だ。今では2番までしか歌われていないが、実は3番、4番の歌詞がある。以下に全歌詞を付記したが、通して歌うと、今日私たちがイメージする「蛍の光」とは全く別ものである。この歌詞が終戦直前まで歌われていたのだろうか。唱歌にも謳われた日本の常識と言うことだったのかもしれない。
 昨年の11月14日、私は沖縄の南部戦跡を初めて巡った。そこでやはり考えさせられたのは、あの悲劇の悲劇である所以は決して米軍の猛攻だけによるものではないこと、それ以上に当時の沖縄の、沖縄の人たちの置かれた立場であったということである。正にこの歌詞のように。
  「蛍の光」 作詞:稲垣千頴
  一、
  ほたるの光、窓の雪。
  書よむつき日、重ねつつ。
  いつしか年も、すぎの戸を、
  あけてぞ けさは 別れゆく。
  二、
  とまるも行くも、限りとて、
  かたみに思う、ちよろずの、
  心のはしを、一言に、
  さきくとばかり、歌うなり。
  三、
  筑紫のきわみ、みちのおく、
  海山 とおく、へだつとも、
  その真心は、へだてなく、
  ひとつに尽せ、国のため。
  四、
  千島のおくも、沖縄も、
  八洲のうちの、守りなり。
  至らんくにに、いさお しく。
  つとめよ わがせ、つつがなく。
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by kpage | 2006-01-27 22:52 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 01月 22日
ちはやふる奥の細道
a0006954_1565783.jpg メタボラは今日で54話目を数える。昨日の53話から第2章に入った。入った途端、物話の語り主がそれまでの『僕』から、『僕』と行動を共にしている『おいら』に替わった。さてこれは主人公が替わったということなのか。この先、また他の誰かに替わることがあるということなのか。複数の主観を交錯させながら一つの話を俯瞰するという組み立てはとても面白い。
 面白いといえば、昨年末に古本屋で買った 『ちはやふる奥の細道』(小林信彦著1983年発行) という本が今手元にある。実はまだ少し読んだだけで、そのうちにと積読しているのだが、この本全体の構想が面白い (もちろん個々の内容もだが、そもそもが河村要助氏の装画に惹かれて買ったまでだ)。
 この本はW・C・フラナガンという、かなりトンチンカンな知日家の米国人の著書 (ROAD TO THE DEEP NORTH) を小林信彦氏が翻訳したというのが建前なのだが、このW・C・フラナガンという人物は全く架空の人物で、実は小川氏自身の創作による小説だったのである。私はそうとは知らずに読み始めたのだが、そのあまりの勘違いにこれは何かあるなと、早速巻末の『作者ノート』というのを読んでやっと事情を理解した。
 『 ワビとサビは(日本人特有のあいまいさゆえに)、ワビ&サビ、という風にいっしょに用いられることが多い。それどころか、ときには、<ワサビ>という形で、一つに括られてしまうことさえある。 』 など、その勘違いは並みではない。
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by kpage | 2006-01-22 15:11 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 01月 13日
書名
a0006954_19414022.gif 「原寸美術館」の話題をもうひとつ。綴じの部分に印刷されている文字がたまたま目に入ったのだが、縦書きで「10折 小学館 実物大美術館」と読める。稀に出版されてから途中で変更される書名もあるくらいだから、仮名を用いて問題のない部分から印刷に入ることは、工程管理上からも許されて当然だろう。
 確かに「実物大~」ではあまりに説明的過ぎるし、まるで昆虫図鑑でも見るような気がしないでもない。「実物大」と「原寸」、さてどう違うのか。書名の決定に際しては、意外に奥の深い笑えぬ議論が交わされたのではと想像している。
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by kpage | 2006-01-13 20:38 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)
2006年 01月 10日
フェルメール
フェルメールを好きな画家の一人に挙げる人は多いと思う。私もその一人だ。もう10年も前のこと、フェルメールを50頁にも渡り特集を組んだ雑誌があった。「原寸美術館」のフェルメールの頁に来てふと思い当たり書棚を探ってみた。BRUTUS1996年9月1日号だ。
 BRUTUSはその中で現存するフェルメールの36作品すべてを図版で紹介し、詳細な解説を添えているのだが、今あらためて読んでみると、その内容の意外な深さに驚かされる。そのこだわりは専門書でもない一介の雑誌とは思えない(BRUTUS目次参照)。
 「原寸美術館」でもフェルメールの絵の独特な距離感や静寂さについての指摘がされているが、それがカメラオブスクラの使用によるものであることも当時から既に定説だった。ただ10年前と現在の社会の違いが現れていて、また面白い指摘だと思ったのは、距離感についての解説だ。『モデルは画家をまったく意識することがない様子。・・・・・かたわらから投げかけられられている視線に気付きもしない。・・・・・画家の視線は今でいう「盗撮」の視線ではないか。』 と結城氏が述べていることだ。
a0006954_91016100.jpg 確かにフェルメールの作品には右の作品のように少し離れた位置からいかにもそっと覗くようなアングルのものが多い。それは対象に対して関わりを持つことは好まない(面倒だ)が、それでも関心は充分にある、といった現代人の屈折した気持ちとうまく波動が合うような、そんな作品だと言えなくもない。
 しかし、盗撮でなくともこういうアングルは今ではどこにでも見られる。それはフィルムではないデジタルカメラによるもので、フィルムと違いここぞと思ったところで失敗を気にせずバシャバシャとシャッターを切れるのがデジタルカメラのありがたいところである。そういう撮り方に撮られる方も慣れてくると写真は勢いカメラ目線ではない、良く言えば自然なものになっていく。悪意からではない盗撮的な撮り方も当然出て来る。そのような現代性もフェルメールの作品が私たちを魅了して止まない理由の一つだろう。
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by kpage | 2006-01-10 22:04 | ■書籍・雑誌 | Comments(0)


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