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カテゴリ:■紙上講義感想( 6 )
2005年 06月 13日
思索の時
内田教授の3回目特別紙上講義は1回目に出された宿題の講評だった。その宿題とは「大学で学べないものは何か。500字以内で記せ」だった。教授は『見慣れたものをラディカルに見直す時、こういう問いかけ方が効果的だ』と言っている。
読者3名の解答が紹介されていた。私なりに要約すると「多様な観点からものごとを見て考える事」、「問題の正解」、「逆説的な表現だが、学生自らが学び取る」である。・・・と、考えながら書いていると、最初それぞれの解答文の印象は随分違うものだったのだが、結局どれも根本的なところでは同じような問題に集約してしまうのに気付く。
大学とは「学ぶ」能力を自ら習得する場であり、「あれ何?、これは何で?」と常にアンテナを巡らし解決しようとする。これらが互いにフィードバックを永遠に繰り返す。しかも、それは大学生活で完結するものではない。実際、大学とは本来そういうところじゃないのかとは、誰しもが思っているのではと思う。しかし、社会は社会で様々な事情というものがあって、外目にはボーッと云わば無意味にも見える青春の思索の一時期をなかなか許してくれない。自ずと大学は資格者養成機関と成り果ててしまいがちである。よく例に挙げるが、東大や京大を中退し、IT関連会社を起業する青年達は前述の意味では中退ではなく大学をしっかり卒業している。
教授の提案する逆説的な問いかけは、宿題の他にも例えばと挙げていたが、『会社とは何をしないところか』や『家族とは何を言わない関係か』、などのようにちょっと身の回りで気になったことやものを、一度根本的に考えてみるという作業も頭の体操にもいいのかなと思った。仕事で行き詰まった時なども、この感じで「ふう~っ」と、一旦頭をクリアーしてみるのもいいかもしれない。ただし前回の締めでも書いたが、倫理観はしっかり底に据えて置いて頂きたいと思う。
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by kpage | 2005-06-13 10:18 | ■紙上講義感想
2005年 06月 08日
これって、あれに使えるかな
6月6日月曜日の内田教授の紙上特別講義2回目のサブテーマは『大学教育の特徴は「これは使えるかな」と問いかけをすることです』であった。
私なりの解釈で言うならば、「これは使えるかな」とは、これも答でありなんじゃない?、ということだ。社会に出ればおそらく当たり前の事である。主婦であろうが、サラリーマンであろうが、日常生活や仕事の現場において、問題解決策に正解はない。ただし、答えはいくつもある。こんな当たり前のようなことを、なぜ教授がことさら問題提起せねばならぬのか。実際に大学の教育現場で顕在化している問題とはいえ、私にはそれこそが問題のように思える。試験問題の正解は唯一つ。学生達はそれを探し出しすため苦労を重ねて来てやっと入学した大学で、いきなりそんな話はないだろうと思う。高校までは勉強ってこんなものだったけど、大学ではそんなものじゃないんだよ、と言われて多くの学生は面食らうのである。根は入試制度ばかりではないだろう。例えば、ほとんどの公立の小学校では私服OK、茶髪にしてもかっこよくなったね、といわれるくらい。どんな帽子を被ろうが、どんな靴を履こうが、他人に明らかな迷惑がかからねばOKである。先生もクラス担任制であるから児童一人一人のことがよく分かるし、コミュニケーションも濃い。濃いとは何に対してかといえば、中学校である。中学校に入るとそれが突然かわるのだ。上記の事例はおそらくほとんどの中学校では禁止であろう。子どもは当然何で?と思うのである。私たち50過ぎの人間は、学校の言う事は守って当然、なんの疑いも持たず言う事をきいた世代であるが、その私でも中学に入った途端、坊主頭にせよと言われてそれだけは悲しかったし、髪が長くて何が悪いのかと純粋に思ったものだ。もっとも同じ小学校から行った友人には一月近く拒否し続けた強ものもいたが。クラス担任はいても授業は学科で先生は変るし、とにかく、校則、決まりでがんじがらみ、10羽一からげで動かそう、管理しようとする。そのギャップに子ども達は面食らう。適応できる子、出来ない子、あきらめの子。そして大学までの試験、試験の日が繰り返されるのだ。多くの子どもは自分なりに合わせていけるのだが、そうできない子も当然出てくる。まあ、このあたりのことは別の話になってくるが、とにかく教育制度そのものが、なんとなくチグハグそういいたいのである。
ただ、教授の言われている事はその通りだと思う。18歳なら18歳なりの人生経験で得た知識、技能がある。蓄積されている。そのあらゆるもてるものを総動員して生かす方法を教えるのが大学教育だとおっしゃっている。
一つ面白い学術用語を紹介されている。それは「ブリコラージュ」という言葉で、『これって、あれにも・・、他にも何か使い道があるんじゃないかな』というような情報処理法の事で文化人類学者のレヴィ・ストロースが唱えた概念ということらしい。内田教授はご自身の言葉で『手元にあるありあわせの材料を使って、自分の手で物を作ること』と言っている。そういうことなら、私たちの子どもの頃の玩具はそんないろいろあるわけではなく、多くの遊びの道具は見立てだった。そこいらにある雑多な日用品や石や木っ端などが、私たちをわくわくさせる基地や飛行機や戦車に変身していた。そういうことならよく分かる。そうしたら新しい知識、情報の取り込みはそれほどの価値はないのかといえば、「そうではない」という。新しいもの、見たこともないものに、出会うのも、『1回目の講義に出てきたあの「喉に刺さった小骨」をなんとかしたいといつも辺りを見回している人だけ』ということである。20代のIT関連の世界をリードしていく人たちなど正にこれらの人であろう。昔、まだポケベルが全盛の頃、高校生(特に女子)の多くがこれを持っていた。今の携帯のようなものである。私もその頃小売業に従事しており、実際に彼女達にポケベルの販売をしたこともある。もちろん、私自身も会社からポケベルを持たされ、どこにいようがブルブルッと呼ばれたものだ。しかし彼女らの大方の使い方はそうではなかった。彼女達にはポケベルはブルブルッと呼び出して電話させる機械ではなく、文字送信機能を使って会話を楽しむものだったのだ。ポケベルで会話!?その頃の私たちには想像もつかない発想であった。内田教授も言われている通り、学びは教室の中では完結しない。伸び伸びとした自由な発想を出させ、それを見抜き育てることは容易なことではない。ただ、私としては自由な発想プラスアルファ「倫理観」は譲れないところである。
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by kpage | 2005-06-08 15:25 | ■紙上講義感想
2005年 05月 30日
固くて噛めねえ・・が。
朝日新聞朝刊の紙上特別講義、今回は内田樹(うちだ・たつる)神戸女学院大文学部教授だ。大学で学ぶとはどういうことなのか、では逆に大学で学べないことはどういうことなのか、というようなテーマである。実は記事は切り抜きファイルだけして、「花はさくら木の感想」を午前中に仕上げたく優先したので読んだのは夕食後になってしまったが、読んでいて、ああ、これがあれのことかと思った。これがあれとは、以下のことである。
今日も午後はいつものウォーキング。途中休憩に書店を覗いたのだが、一昨日チラッと覗いた棚の隣が哲学書のコーナーで、こんな縁でもない限りは普通は素通りコーナーである。しかし、今日はちょっと足を止めてみた。足元から頭の上の位の高さまである棚のちょうど目の高さにある本は間違いなく哲学書だ。しかし本の書名までは記憶にないが、いずれも、これ一冊に著名な哲学者の著作のエッセンスが詰め込まれているとか、いまさら聞けない~式の本、更に全ページ漫画解説の本もあったりで、本来の専門書は、見づらい、触りづらい、買いづらい、と小売業の売るための鉄則3か条をひっくり返したような位置である。遠い昔、習ったことあるけど、何のことだたっけ、とか、仕事に追われるだけの毎日だけど、こんなのでいいのかな、とか、雰囲気的には初心者向けというよりは人生少し時間にゆとりが、精神的にゆとりが、お金は分からないけど、そんな人たちがターゲットであろうか。因みに、今書店の一等地に高齢者向けの脳力の維持強化を謳った各種の実践的な本が所狭しと並んでいる。中には小学生の算数ドリルじゃないのかな?というのさえある。
さて、話を戻すが、内田先生は「学ぶ」とは、たとえて言うなら『小骨が喉に刺さった状態が続くことです』 と言う。『分からない、だから、分かりたい。この思いがどこかに引っかかっていると、人間は無意識のうちに「分かる」ために役立ちそうな情報に反応し、集めるようになります。ちょうど、小骨を溶かす唾液の”強度”が上がって行くみたいな感じ』だという。知的にもやわらかいものばかり食べていると、これらを飲み下し、消化する能力を十分獲得できなくなる。少し固かったり、小骨の多い魚が出てくるとお手上げになってしまう。学問もそのようなものなのだ。
そして、もう一度あの哲学書コーナーを思い出してみた。あの、見やすい、触りやすい、買いやすい棚にある本を手に取ってみる人たちはどんな人たちだろうと。勉学意欲に満ちた人たちであることは間違いない。自分も含めて学生時代を思うと小骨、大骨があったり、どこかの勝栗みたいに固くて噛めねえ、の類はそこそこにして、プリンのごとくやわらかいぺらのプリント1枚程度でよしとした、そんな人たちが回帰してきている。そんな気がする。学問の学問たる部分はどこかに固い、刺さる部分がある。それをクリアーする能力を手に入れる。それが内田先生のいわれる「学ぶ」らしい。しかも、それは大学で獲得するものではなく『卒業後も、学生が自分自身で作り上げていくものなんです』という。学び始めるのに年齢は関係ない。よし、少~しだけ固いくらいで頑張ってみよう。そう思った。
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by kpage | 2005-05-30 23:44 | ■紙上講義感想
2005年 05月 16日
宿題
香山教授の紙上特別講義は今日で終わりだ。実は第1回目に受講生(購読者)に宿題が出されていた。それは、

次の文章の空欄を埋め、理由を500字以内で記せ。
 『就職しない若者が増えた理由は(   )にある』

である。今日紙面で応募した方の中から3通が紹介されている。教授の解説も掲載されているが、切り抜きしただけで記事はまだ読んでいない。これは別に若者のみに対して出された宿題ではない。今、日本を善かれ悪しかれこんな社会(日本だけが問題ではないのだが、とりあえず)にしてしまったのは団塊の世代をアンコのように真ん中に上下包み込んだ形の私たちの世代であるのは確かである。そういう意味からも私たちが先ず考えないとと思う。悪いのは大人で若者ではないと言っているのではない。非常に根が深く難しい問題だと思う。しかし、これという悪意もなく自分に悩み、困り果てている若者が今現に居るのだ。何か突破口の一つでもないのかと思う親心からでもある。私の頭に中では、「こういう内容の宿題が堂々と存在しうる」が解答であって問題と解答とが堂々巡りを始めるのだ。
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by kpage | 2005-05-16 11:26 | ■紙上講義感想
2005年 05月 15日
思考の限界
「香山教授の紙上特別講義」第2回目の感想。第2回目のタイトルは「対人関係・・自分を安全地帯に置き、心理的距離を取ろうとしているのを感じます」 だ。教授は何か大きな事件が起きると学生にその事件をどう受け止めたかをリポートに書かせるらしい。多くの意見は「厳罰が必要」、「こういう人間を排除するには・・」というのが大勢らしい。
結果的には学生は第2回目のタイトルの通り、自分を安全地帯に置き、心理的距離を取ろうとしているのである。心理学で「防衛」というらしい。個性だ、個性だといわれ続けて来て、それ以上に価値観の多様化してしまった今の社会である。自分に自信が持てないし、どうやって生きていけばいいのか、社会の中での自分の身の置き所を見失うのだ。勢い引きこもりに走る者も出る。一方で自分が人にどう思われているのかは非常に気になる。「厳罰が必要」、「こういう人間を排除するには・・」はこういう背景からでた正直な気持ちだろう。しかし、問題は思考がそこで終わることであろう。物事を深く掘り下げて考えるのはとてもエネルギーのいる大変な作業である。昨日、「根本原因は何だろう」という記事を書かせてもらった。犯罪や問題の直接的且つ表面的な原因の究明と、その対処療法的措置は、また同様の問題があまり期間をおかず発生するの防ぐ。だが、もう一歩踏ん張って問題の背景を探る習性を磨かねばと思うのである。
教授は若者がインターネットなどの発達でバーチャルな世界に没頭するようになり、現実の出来事から苦もなく離れる(逃げる)事が可能になったことをあげ、自分とは違う価値観の人や出来事を受け入れて考えるエネルギーが衰退しているのではと指摘している。正に同感である。
今日、流行語のように耳にするニートは仕事のみならず若年期にこそ大切な学習の機会さえも奪っている。2010年だったか、ニートといわれる人口が100万人を超えそうだという。
問題の解決は一朝一夕では出来るものではないが、家族やご近所同士の些細な会話からはじまるような地道な積み重ねが結局必要だと思う。人と人が面と向かって話をするコミュニケーション、これが一番大切だ。こんなブログよりもね。でも、また見てね。
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by kpage | 2005-05-15 23:16 | ■紙上講義感想
2005年 05月 15日
動けぬ学生
「香山教授の紙上特別講義」(週1回月曜日)というのが今連載中だ。帝塚山学院大学人間文化学部香山リカ教授、精神科医でもいらっしゃる。
第1回目のタイトルは 『低い自己評価とプライド。その間で学生は動けなくなっています』 だ。私などそれを目にした途端今だにドッキリさせられる。現在日本の大学生の就職率は6割を切っている。意外に女子の方が若干いいのだ。90年代は8割を越えていたらしいからバブル崩壊以降の落ち込みのすごさは尋常ではない。知人の娘さんで30社ほどの受験や願書の送付をしてやっと就職にこぎつけたという話も聞いている。こんな頑張りやさんは一人でもなんとかやっていける。しかし絶対求人数(本当にどんな仕事でもという意味では結構あるのかもしれない)が少ない現実を前に立ち尽くすばかりの学生も多いだろう。香山教授は今こんな問題があるのだと言っている。

①就職を怖いと感じる心理。何か自分に自信がなく自分を雇ってくれる会社なんてあるんだろうかとまで思ってしまう。
②じゃあ、と逆に「ここはどう?」と勧めても食いついてはこない。自分には自分に向いた(自分しかできない)他の何かがあるはずという。正に前述のタイトルの通り多くの学生はもがいている。就職はしなければという気持ちがあればあるほど焦りあがく。
③じゃあ、と、今度はいわゆる自分探しの旅に出る。私も沢木耕太郎氏の「深夜特急」をワクワクして読んでた日々が懐かしい。本を読むだけで自分を探し出せる人は幸せだ。これで本当に天職といえるものを手にする人もいる。しかし、ほんの少しの勇気と、ちょっとした運も必要だ。
④書店に出回っている就活本など最大限に活用し何とか乗り切ろうとする学生も多い。しかし、教授はこういうものは煽るだけ煽ってその気にさせる「自己催眠」のようだといっている。

今の学生は学校教育やマスコミなどあらゆる場で「個性を大切に、とにかく個性だ」と言われ続けてきた世代だ。自分でこれだと納得できるものが目に前に現れない限り妥協できない。しかも、意外に低い自己評価という現実があるようだ。教授は言う。「就職って確かに大変な問題だけど、人生の全てではない。もっと平凡でささやかなもの。偶然決まった会社でやりがいを見つける人だって多いはずです・・・。」
一方では、最初から自分の思うように進んでいく学生も多いはずだ。しかし彼らとて敷かれたレールに乗っかってきたわけじゃない。相応の努力がやはりあったと私は思う。だからといって本人の努力が要などとは思っていない。やはり教授の言われる通り、本人が自分の力だけでどうこうできない抜き差しならないところまで問題の根が張ってきている。個性をカッコいいような言い方ばかりで論じていては駄目だと思うし、一切合切をまとめて個性、個性がないのも個性。この講座の第2回目のテーマでもある、対人関係、社会との交わり方などとも関連してくる。人間、ゆったりと、ゆったりと、いけるといいが。

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by kpage | 2005-05-15 00:14 | ■紙上講義感想


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