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2005年 10月 20日
 古来、巷に存する数多の神々への信仰は日本人の宗教観を特徴付ける大きな要素である。それは庶民の日常生活の様々な場面に生ずる不安や恐怖、または欲望や願望などに対して、一種専門性を持った神々が個々に見事な問題解決を見せることにより、庶民の信頼を獲得して来たといってよい。 一方、そのような自分の都合のよい神々とだけ向き合っておればよしとするような人間本位の信仰は唯一神の許すところではなく、田沼の言うように人間の幸福の総量があらかじめ定められた一定量であるかどうかはさて置いても、人間が唯一神と向き合う時、謙虚になれる(ならねばならない)というのは筋道としてはまことに正しいといえる。
 かつて田沼は自分のあまりに青臭い言葉に多少照れながらもこう言った。 『 無私の精神だよ。私利私欲のなさこそ、我々の力の源泉だ 』 と。かつてなく自由の気がみなぎる家治と田沼の時代である。幸福とは?との議論の必要性は承知しつつも、ともかく今のこの自由の気の高まりが、総量の定まっているかもしれない幸福の奪い合いを助長し、その結果として幸福の偏在を加速するのだと田沼の目には映っていた。そして彼の謙虚な無私の精神はそれをそのまま見逃すことが出来なかったのである。
(第182話の感想)
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by kpage | 2005-10-20 12:30 | ■花はさくら木の感想 | Comments(0)
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