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慰霊碑文

 昨晩、広島の原爆死没者慰霊碑が傷つけられるという事件があった。以前にもペンキがかけられるという事件があったらしい。ものの見方、考え方は人それぞれだから、それはそれとして。気に入らないからと、他人のもの、公共のものを破損させるのは戴けない。ただ、小はこのような事件だが、大は戦争であり、テロである。根は同じである。決して許されない事件だ。
 しかし、この慰霊碑に刻まれている碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」自体に問題があるのは衆知のことだ。戦争の端緒がどうであれ、どちらからであれ、戦争は一旦始まれば双方が相手をどれだけ殺戮できるか、兵力、武器力の増強を競うのであって、結局違うのは終戦時の結果としての立場(勝ち、負け)である。ならば、尊い命の犠牲者に対しては等しく責任を負うべきものではないだろうか。その意味からこの碑文の主語が不明であるのは問題である。実はこの慰霊碑は広島平和記念都市建設法という法律に基づいて建てられたそうである。それからすると当然主語は日本国、若しくは日本国民ということになるのだろうか。では、原爆を実際に投下した当の米国はそれには入っていないと云うのだろうか、ということである。
 日本語は特性として主語よりも述語が重要である。機能から言えばむしろ述語と言っているものが主語であり、主語は主格というべきものだという研究者もいる。それから言えば英語などは主格と主語が同じものだからこれを絶対に外せない。例えば時刻を言うのに無理やり主語”It”を持ってこなければ文章が成り立たなくなる。そして必ず主語が先頭に来ることから他の語を強調表現しずらいなどの問題点もある。一方日本語は主語(主格)はあえて書く必要はなく省略される場合が多い。それは文章の文脈から推察出来るからで、しかも各語の配列は句読点を駆使すればかなり自由度が高い。語彙を別にしても強調表現や微妙なニュアンスの違いを出すことが自在である。
 そのような日本語ではあっても、この碑文のように主語(主格)が全く推察できない文章は文章としても成り立っていない。とは云え、批判を受けて後の論議の末、”安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから”と希求する気持ちは誰しも同じであろうという前提に立ち、主語を世界中の全人類一人一人と読む現在の大勢は、まことにずるい後出しではあるがよしとすべきか。こういうものまで中身のない箱物行政であってはならないと思う。
by kpage | 2005-07-27 16:21 | ■思ったこと