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60年の節目

 戦後60年という節目は単に干支が一巡したという数字上の切りのよさから、特別なのではない。仮に終戦を20歳で迎えた人たちは今80歳。現代の日本は誰が100歳まで生きようが特に不思議ではない長寿国である。とはいえ多くの当時の記憶は誰にも語られず忘れ去られ、消え去ろうとしているのではないだろうか。真実にさらに迫るには、隠れた(若しくは隠された)事実の掘り起こしは正に急務と思う。そういう意味でも大切な節目である。
 歴史はどういう立場を取ろうが、総論として単純な紋切りでは語れない。多くのそういった類のフレーズを鵜呑みにしてはいけない。例えば、「原爆の投下により、米国人、日本人の100万人の命が救われた」の類である。これに胸を張って、「原爆投下に関わったことを誇りに思う」 と断言する人たちがいることなどは私には信じられない。政略的に無理を通そうとするところから誤解が生じ対立も生じる。もっと、私たちに真実が知らされなければならない、真実を暗闇から陽の当たる場所へ引き出さねばならない。
 日本にしても、大陸や南方諸国への進出は明らかに侵略である。その過程でいろいろ鉄道や道路をはじめとするインフラを整備したり、結果的に西欧諸国の植民地支配からの独立を奪還する機運と力を育てたのも事実である。しかし、日本が最初に加害者であったことには間違いない。それを日本人は先ず忘れてはならない。
 話は変るが、先月末、岡本太郎がメキシコで描いた「明日の神話」という絵画が里帰りを果たした。30年間も行方知れずで、一昨年の9月5日にメキシコシティ(だったと思う)郊外で発見されていたものだ。題材は何と、『骸骨が核の炎に焼かれながらも直立し、その惨劇を乗り越えようとするかに見える』と新聞記事には紹介されていた。描いた時期があの「人類の進歩と調和」をキャッチコピーに開催された大阪万博のシンボル「太陽の塔」の制作時期と重なるらしい。なんとも皮肉である。これはいわゆる反戦画である。
 しかし、終戦までいわゆる戦意高揚のための戦争画も沢山描かれた。軍歌とて同じである。皇国日本の大義を心から信じ、お国の為、兵士の為、銃後を守る多くの国民のためにその才能を振るった芸術家もいただろう。しかし、多くは仕方なく描かされたというのが実情だろう。ただ、これらがあの北朝鮮のような民衆をただ扇動する為だけの無味乾燥な画や音楽と同類とは私には思えない。大音量のスピーカーから流れる軍歌には閉口するが、軍歌とてじっくり歌詞やメロディを聞くと単純に戦意高揚のみではない、友を、家族をそして愛する人を、戦地で、または内地で互いに気遣い、早くこの戦争が無事終わるよう希求する気持ちが伝わってくるものは多い。一方、戦争画とてどこかに作者の隠されたメッセージが描かれてあると思うのだが、これらの多くは未だ東京国立近代美術館に保管されたまま残念ながら一般公開はほとんどされていないという。政府及び作者自身、あるいは関係者の英断に期待したい。
by kpage | 2005-06-18 15:13 | ■思ったこと